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山口近代建築ノート第76回「防府市営松原住宅ほか(公営スターハウス)」~星型の公営住宅 優れた居住性

▲団地東側外観。RC造4、5階建て住棟が、道路に沿って手前から西奥へ5棟建ち並ぶ。「星型」であることは、上空からでないと分からない
〔上右〕基準フロアプラン(参考論文内の図を加工)
〔下右〕南住戸の2居室+ダイニングキッチン(2DK)プラン (防府市ホームページより加工)
〔上左〕スターハウス住棟北側外観。1階が共有入口、吹き抜けの階段から各住戸へアプローチする
〔下左〕スターハウス住棟南西側外観。独立性が高く、三方に開放的な住戸だ

戦後の住宅不足解消の使命を担った公営住宅の第二弾です。
私の県庁36年間勤務のうち、11年間は住宅行政で、県営住宅の建替え、管理にも深く関わりました。
当時の山口県の県営住宅は120団地、13,000戸を抱えており、県民人口比からみると高いレベルだったと記憶しています。
50年近く経過し老朽化した県住は、建替えやリフォームを積極的に行っていました。
「県営住宅新標準設計」を、当時の市浦コンサルタントさんたちとまとめたこともありますね。

防府土木建築事務所に勤務していた時、防府市内にスターハウスが多く残されていることを知り、歴史を調べたこともあります。
当時は、事務所の近く、桑山東山麓に県営のスターハウスが2棟あったのを覚えています。(その後解体)
なぜ、山口県内の防府にスターハウス10棟が同時期に集中して建設されたのか、これを生み出した市浦健氏は山口県出身(出身市町は不明)であり、そのことが関係しているのか…。

いまだに謎です。

以下、「山口近代建築研究会HP」へ。(画像がクリアに大きく見えます。画像・文とも無断転用不可。)

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戦後の住宅不足解消の使命を担った公営住宅の第二弾。
「DK(ダイニングキッチン)」で食寝分離を果たした「51C型」住戸プランを主流とし、昭和20年代後半から全国各地で公営住宅建設が急速に進められて行く。
だが、それら住棟の多くは、3~5階建ての四角い「階段室型」で、外観は単調かつ画一的なものであった。

これに対し、昭和29(1954)年、市浦健(山口県出身、東京帝大卒、1904~81年)によって新たな標準設計「54C-2型」が開発される。
二等辺三角形の階段を中心に1フロア3住戸を配置した独特な平面。
三面に開口を持つことから採光、通風に優れ、眺望も利く。
また、横長でないため不整形、狭小敷地にも対応しやすい。
このY字型の新平面は星型に見立てられ、「スターハウス」と呼ばれるようになる。
正に復興に夢を与えるネーミングだ。
その後、公営から公団住宅団地にも広く普及していったが、工事費の高さや施工の難しさにより、昭和40年代に入ると建てられなくなった。

県内でこのタイプが建設されたのは下関市と防府市。
防府では、昭和36~40年の間、この松原住宅のある桑山周辺に集中して建設され、8棟が今も残っている。
空き家も目立つが、修繕や改修が何度か行われ、現役の集合住宅として使われ続けていた。

横長の大きな量感を持つ住棟に対し、コンパクトで視覚的に柔らかな印象を与えるこのスターハウス。
築60年を超え、老朽化も進み、全国的に多くはすでに解体された。
その一方、集住文化を伝える歴史的価値、その希少性が見直されてもいる。
2019年には、旧赤羽台団地(東京都北区)のスターハウスを含む4棟が、住宅団地としては初めて国の登録有形文化財となった。
防府のスターハウスも、ユニークな形と空間を活かした魅力的なリノベーションを施せば、地域の活性化に寄与することができるのではないだろうか。

(山口近代建築研究会、一級建築士・原田正彦)

【メモ】防府市鞠生町ほか、参考「日本住宅公団におけるスターハウスの建設状況と現状」(日本建築学会論文、時久賢矢ほか、平成31年)

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