• 私たちは、近代建築をテーマに、建築文化や景観まちづくりに関する研究を行っているグループです。

山口近代建築ノート第82回「山口県立山口図書館」~本に囲まれた自由な居場所

▲正面入口外観。RC造2階一部3階建て、書庫のみ7層。床はレンガタイル敷きで外壁は炻器質打込みタイル張り。ブロックの間に出入口や開口がある
〔上右〕1階平面図。中央ホールを中心に6つのブロックが四方に配される。東西へは通り抜けができる
〔下右〕南側外観。各ブロックは低層、書庫は高層で、水平に走る白い部分はコンクリ―打放し仕上げ
〔上左〕中央ホールにはカウンターと書架、閲覧コーナーがあり、四方のトップライトから光が入る
〔下左〕レクチャールーム内での「建築50周年等記念事業」での講演会の模様(令和5年11月12日)

令和5年12月10日(日)、山口新聞「やまぐち近代建築ノート」第82回が掲載されました。
今回は、昭和48(1973)年に建てられた「山口県立山口図書館」。
これが、三年半にわたって連載した「近代建築ノート」の最後の建物となります。

戦前の図書館は、目録で図書を探し、その図書番号をもとに職員が書庫から本を取り出す「閉架式」でした。
館内の書架から自分で本を選び、気に入った席で読書するという「開架式」となったのは戦後なのです。
建築家・鬼頭梓は、こうした自由で開かれた図書館建設の先駆者でした。以後30以上もの図書館の設計を手掛け、日本を代表する「図書館建築家」となったのです。

一方、鬼頭はこの作品で山口県の信頼を得、その後県内に「山口県立美術館(1979年)」「山口県スポーツ文化センター(1984年)」「山口県立美術館増築(1989年)」「山口県ふるさと学習ビレッジ(1997年)」、また周南市においては「徳山市中央図書館(1981年)」を次々と生み出していきました。
正に山口県は「建築家・鬼頭梓の聖地」でもあるのです。

以下、「山口近代建築研究会HP」へ。(画像がクリアに大きく見えます。画像・文とも無断転用不可。)


昭和48(1973)年建設の県立山口図書館。
明治36年建設の初代、昭和3年建設の二代に続く三代目図書館である。
場所は、山口大学が移転した跡地の後河原であった。

設計者は、鬼頭梓(東京府出身、1926~2008年) 。
東京大学建築学科卒業後、前川國男建築設計事務所に入所し、独立後は東京経済大学図書館(昭和43年、日本建築学会賞受賞)で名をはせ、以後各地に数多くの作品を残した。
中でも図書館の数は30以上と群を抜く。
戦前の図書館は、目録で図書を探し、その図書番号をもとに職員が書庫から本を取り出す「閉架式」だった。
館内の書架から本を選び、気に入った席で読書するという「開架式」となったのは戦後である。
鬼頭は、自由で開かれた図書館建設の先駆者であった。

この建物は、鬼頭の図書館作品の4作目。
図書館ほか文書館、視聴覚センター等の用途を持つため、平面を6つのブロックにまとめ、中央ホールを中心に配置した。
外観はこれらの矩形ブロックが組み合わされた構成を見せる。
また、外壁は焦げ茶色を基調に数種の色変化を持つ炻器質打込みタイルで、ブロック間の開口部を打放しコンクリートとガラス建具でつなぎ、ファサードを引き締めた。
知性を感じさせ、落ち着いた印象を与える外観である。

吹き抜けの中央ホールは、ステージのように床を半階分高くした。
来訪者は、書棚と本を選ぶ人の姿を見ながら、スロープで中一階と二階の書架、閲覧コーナーへ誘導される。
本との対話を求めて、次第に気分を高揚させていく内部空間の演出も素晴らしい。

この連載の資料収集のため、ここには何度も通った。
また、先月には建築50周年、創建120周年を祝う記念行事に、自らも関わった。
価値ある建物を大切に活用して愛着を深め、時には建物や建築家を顕彰し、感謝する。
そんな愛護の精神が、今後様々な歴史的建造物にも広がることを期待したい。

(山口近代建築研究会、一級建築士・原田正彦)

【メモ】山口市後河原150-1、BCS(建築業協会)賞受賞、参考「建築家・鬼頭梓の切り拓いた戦後図書館の地平」(京都工芸繊維大学美術工芸資料館、2023年)

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