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山口近代建築ノート第80回「下関市立体育館」~新構造形式と地域性の追求

▲体育館正面外観。鉄骨+RC造4階建て。「合掌造り」のように傾斜した太い梁が二枚の大屋根を支える形。ガラス外壁は外に張り出し、1階はピロティとなっている
〈上右〉側面屋根の曲面は標記の関数で表される
〈上左〉ドローンによる体育館上空画像。屋根は中央の二等辺三角形平面と側面二枚の曲面でおおわれる(画像は日本建築学会中国支部提供)
〈下右〉三階観覧席から見る体育館内部
〈下左〉「斎藤公男氏と巡る下関市立体育館見学会」の模様。氏は「この建物はシドニーオペラハウスに匹敵する価値ある建物」と力説された(令和5年3月)

令和5年11月12日(日)、山口新聞「やまぐち近代建築ノート」第80回が掲載されました。
今回は、「下関市立体育館」。
伝統的な合掌造りをイメージする三角破風とガラスの大開口を正面に据え、曲面屋根を金色のアルミパネルで仕上げた独創性あふれる建築です。
残念ながら、この戦後モダニズム建築の名作も、老朽化や耐震不足等を理由に、新体育館建設後解体される予定になっています。

これまで私は下関の建築仲間たちと、2019年には竹山聖先生(京都大学教授)、岡松道雄先生(山口大学)、平野祐一氏(香川県在住建築家)、今村剛浩氏(下関市在住建築家)ほか、2023年には斎藤公男先生(日本大学)をお呼びし、この体育館の魅力と歴史的価値について訴えていただきました。
特に、斎藤先生は坪井の弟子で、ここの工事監理にも携わっておられ、この建物の歴史的価値と坪井の業績を後世に伝えていく必要性を語られていました。
私も新体育館内、または付近に「坪井善勝ギャラリー」を設けるなどして、記憶を継承することを強く望みたいと思っています。

以下、「山口近代建築研究会HP」へ。
(画像がクリアに大きく見えます。画像・文とも無断転用不可。)


戦後日本の復興の象徴、東京オリンピックの開催は昭和39(1964)年。
その前年の38年、山口県では第18回国民体育大会が行われた。
これに合わせて建設されたのは、主会場の山口県営陸上競技場と、バドミントン会場となったこの「下関市立体育館」であった。

設計者は、構造家・坪井善勝(1907~1990年、東京大学名誉教授)。
「構造家」とは、独創的で作家性のある空間創造を行う構造技術者を言う。
彼は主に丹下健三(1913~2005年)と協働し、吊り構造で有名な国立屋内総合競技場(東京代々木、昭和39年、国重文) の構造設計を担当するなど、生涯数多くの名建築を生み出した。
その坪井が建築家として手掛けた唯一の建物がこの作品だ。
市の建築顧問でもあった坪井は、新しい構造形式をとるよう要請を受け、「力強く、しかもローカリティにあふれた体育館」をコンセプトに設計にあたる。
実現されたのは、伝統的な合掌造りをイメージする三角破風とガラスの大開口を正面に据え、曲面屋根を金色のアルミパネルで仕上げた独創性あふれる建築であった。
最も腐心したのは、前方は緩やかで、後方は急な反りを持つ屋根であろう。
驚くことに、この曲面は「変形双曲放物面」と言う一つの数式であらわされると言う。
モダニズムが生み出した幾何学に基づく抽象的な造型を持つ建築として記憶されよう。
一方、館内は、国立屋内総合競技場の内部空間のように競技場と観客席との一体化が図られている。

残念ながら、この戦後モダニズム建築の名作も、老朽化や耐震不足等を理由に、新体育館建設後解体される予定だ。
坪井の弟子で、ここの工事監理にも携わった斎藤公男氏(日本大学名誉教授)は、かつて講演会でこの建物の歴史的価値と坪井の業績を後世に伝えていく必要性を語られていた。
私も新体育館内、または付近に「坪井善勝ギャラリー」を設けるなどして、記憶を継承することを強く望みたい。

(山口近代建築研究会・原田正彦)

【メモ】下関市向洋町1丁目12-1、<参考>「建築文化~下関体育館」(彰国社、1963年11月号)

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