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やまぐち近代建築ノート連載 第63回藤原義江記念館(旧リンガー邸)~白いモダニズム 地方都市にも

▲南側外観。大小異なるブロックと窓が組み合わされたモダンな造形。1階は玄関、食堂、応接室、2階・3階は居室と設備が占める。2階屋根に屋上テラス
〔上右〕付近見取り図。記念館は、李鴻章道のさらに上、標高30mの高台に位置する
〔上左〕1階展示室は、もと食堂。壁・天井も、漆喰の白を基調としている
〔下右〕1階玄関回り。右側に半円柱がある
〔下中〕南西側外観。大小四角の窓の上には薄い庇
〔下左〕鶴見邸(昭和7年、RC造3階建て、現存せず)も同様の外観(「建築家山田守作品集」より)

2023年2月26日(日)、山口新聞の「地域文化」欄に、第63回記事「藤原義江記念館(旧リンガー邸)」が掲載されました。
下関市阿弥陀寺町の高台、関門海峡が一望できる風光明媚な地域に建つ、白いモダニズムの住宅。
この建物は、昭和11(1936)年、英国系商社ホーム・リンガー商会の代理店瓜生商会が、社長の息子M.リンガーのために建てた邸宅と言うこと以外、詳しいことは分かっていません。
一番知りたいのは、設計者なのですが、これも未だにつかめないのです。

似たような作風から、吉川邸(昭和5年、東京目黒区)を設計した堀口捨己、土浦自邸(7年、品川区)の土浦亀城、鶴見邸(7年、世田谷区)の山田守、いやひょっとしたら、アントニー・レーモンドかも…。
いずれも直方体ブロックと大中小の窓の組み合わせでできており、作風は似通っています。
ひょっとして、潮見長彦など地方建築家の可能性もあるかもしれませんね。

以下、「山口近代建築研究会HP」へ。(画像がクリアに大きく見えます。画像・文とも無断転用不可。)

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下関市阿弥陀寺町の春帆楼から引接寺に続く細い坂道「李鴻章道」を登ること、約5分。
やがて関門海峡を一望できる緑豊かな高台に出る。
そこに現れる3階建て白亜の建物。
昭和11(1936)年、英国系商社ホーム・リンガー商会の代理店瓜生商会が、社長の息子M.リンガーのために建てた邸宅だ。
のち瓜生商会の支配人住宅や、近くの英国領事館の領事公邸として使われ続けた。

現在1階は、日本にオペラの基礎を創りあげた藤原義江に関する資料を展示した記念館となっている。
藤原の父であるN.B.リードが、明治、大正期、に瓜生商会の支配人となり、この建物に隣接した洋館に居住していたことにちなむものだ。
建物はRC造の3階、2階、玄関部平屋、煙突の4つの白い矩形ブロックがずらして配される。
壁面にセセッションなどの意匠は見られず、立体造形と大中小の窓の配置に力点が置かれているようだ。

昭和初期、都会を中心に白い箱とガラスで構成されたモダニズム建築が数多く登場する。
工業化の材料を使い、機能性や合理性を重視した直線的でシンプルなスタイル。
そうした流れにある住宅を、ここ下関で設計した建築家は誰か…。
似たような作風から、吉川邸(昭和5年、東京目黒区)を設計した堀口捨己、土浦自邸(7年、品川区)の土浦亀城、鶴見邸(7年、世田谷区)の山田守などが思い浮かぶ。地方建築家の可能性もあるが、決定的証拠はない。

未だ謎の多いこの建物は、実は日本遺産「関門ノスタルジック海峡」の構成文化財、かつ国登録有形文化財だ。
築87年の建物だけに、いずれは改修も必要となろう。
その際建物だけでなく、周囲の自然、景観との一体化を図るべく、眺望の利く屋外テラスや前面広場の整備なども行うと良いだろう。
海峡の風景を音楽と共に味わえる、モダンな「ノスタルジック建築」として再生してほしいものだ。

(山口近代建築研究会、一級建築士・原田正彦)

【メモ】関市阿弥陀寺町3-14、参考「山口県の近代化遺産」 (福田東亜、平成10年)

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