2023年2月12日(日)、山口新聞の「地域文化」欄に、第62回記事「山口市水道局電気室(旧宮島水源地ポンプ室)」が掲載されました。
現在も現役のこのポンプ室は、昭和10(1935)年に竣工した山口市で最初の水道システムの一施設。
外装をスクラッチタイルで覆われ、二連の縦長窓が印象的なこの施設。
三本の川が合流する三角州に位置し、その伏流水をためて、この施設から象頭山までポンプアップ。
その自然流加の水で、山口は潤っていたのです。
一方、建築技術屋たちは、普段人のいない小規模なポンプ室にも、立派な意匠を施すことを心掛けてきました。
支えたのは、こうした水道の近代化を果たすという誇りと使命感。
そして、普段目には見えない巨大なシステムのうち、わずかに地上に現れるこの小さなポンプ室に、将来その精神を伝える記念碑としての役割を託したのではないでしょうか。
以下、「山口近代建築研究会HP」へ。(画像がクリアに大きく見えます。画像・文とも無断転用不可。)
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水道施設を紹介するのは今回で4回目。その水道システムには、2種類あった。
一つは下関市(15回)、旧小郡町(34回)のように、川の上流にダムや池を建設して水を溜め、それを下流の市街地に配水する。
もう一つは、宇部市(41回)のように、近くの川の伏流水を溜め、高台にポンプアップして、配水する方法だ。
この宮島水源地は、仁保川などが合流する三角州に位置し、後者のシステムを採用した。
地下伏流水を取水井に集め、ポンプ室に吸引して圧をかけ、約500m先、標高90mの象頭山の配水池へ送水、そこから自然流下で給水したのだ。
これら施設は、昭和10(1935)年に竣工。
現存するこのポンプ室はRC造、陸屋根の平屋建てで、地下は送水管が入るピット。
外壁全体は赤褐色で、一見レンガと思いきや、実はタイル張り。
それも表面に縦に引っかき模様を持つスクラッチタイル。
鉄分を含むため重厚感のある独特の発色を持つ。
関東大震災後の昭和初期に広く使用された材料である。
「通水記念絵葉書」には、同時に建設された「象頭山配水施設」の古写真もあった。
外壁がそのままヴォールト屋根と一体化した、蒲鉾のようなユニークな形。
表現主義の流れを汲むものだったかもしれない。
この頃には、山口県内でも大正期に普及した簡易水道から、本格的な近代上水道へ移行している。
先人たちは、質の高い水の供給のために努力し続けた。
海外では水道水を直接飲める国は少ないが、彼らの努力と技術のおかげで、ここ日本では毎日安全でおいしい水道水が当たり前のように飲めるのだ。
一方、建築家たちは、普段人のいない小規模なポンプ室にも、立派な意匠を施すことを心掛けてきた。
支えたのは、こうした水道の近代化を果たすという誇りと使命感。
そして、これら施設が、将来その精神を伝える記念碑となることを固く信じていたからなのだろう。
(山口近代建築研究会、一級建築士・原田正彦)
【メモ】山口市宮島町1012、国登録有形文化財、参考「山口県の近代化遺産」 (木部和昭、福田東亜、平成10年)