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やまぐち近代建築ノート連載 第60回 中国労働金庫下関支店(旧不動貯金銀行下関支店)~古典的意匠支える免震基礎

▲RC造地上2階、地下1階建て。不動貯金銀行の下関支店は大正8年開設。その後日本貯蓄銀行、協和銀行、山口県労働金庫下関支店、と変遷を重ねた
〔上右〕旧不動貯金銀行姫路支店も同じ設計チームにより同年竣工している(参考を転写)
〔上左〕同年竣工の旧百十銀行岩国支店(山口銀行錦帯橋支店)も古典主義建築。柱頭はイオニア式
〔下右〕免震柱断面図。(参考を加工)
〔下中〕A部構造図。上部床スラブと下部基礎梁の間に挿入された免震柱の詳細(参考を加工)
〔下左〕免震柱上端は凹球面(ケン玉の皿の形)、下部は凸球面。ルーズなピン接合(参考を転写)

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2023年1月8日(日)、山口新聞の「地域文化」欄に、第60回記事「中国労働金庫下関支店(旧不動貯金銀行下関支店)」が掲載されました。

下関市南部町、国道9号から北へ一筋入った旧街路沿いは、かつて第百十国立銀行を始め、横浜正金銀行、三井銀行などが建ち並ぶ銀行街でした。
昭和9(1934)年、その東の一角に、この「不動貯金銀行下関支店」は建設されました。
設計は、当時この銀行の支店の意匠を数多く手掛けていた関根要太郎です。昭和戦前までの銀行建築は、こうした古典的意匠を持つ威厳のある外観が好まれました。
しかし、この建物の最大の特徴は、地上からは見えない基礎部分にあるのです。
それは「免震基礎」と呼ばれる当時の最新技術…。
さて、それは一体どんなものなのでしょう?

以下、「山口近代建築研究会HP」へ。(画像がクリアに大きく見えます。画像・文とも無断転用不可。)

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下関市南部町、国道9号から北へ一筋入った旧街路沿いは、かつて第百十国立銀行を始め、横浜正金銀行、三井銀行などが建ち並ぶ銀行街であった。
その東の一角にこの「不動貯金銀行下関支店」が建設されたのは、昭和9(1934)年である。

外壁全体は花崗石粉を混ぜた人造石仕上げに目地を入れ、重厚感のある石造風に見せる。
正面は対称形、2本のトスカナ式半円柱と付け柱、上部水平梁で構成され、玄関庇周りには葉を広げた連続紋様。
これらは正に古典主義の意匠だ。
設計は、当時この銀行の支店の意匠を数多く手掛けていた関根要太郎。
昭和戦前までの銀行建築は、こうした威厳のある外観が好まれた。

だが、この建物の最大の特徴は、地上からは見えない基礎部分にある。
それは「免震基礎」と呼ばれる新技術。
この基礎設計を主導したのは、岡隆一である。
東京市技手であった岡は、関東大震災の経験から、地震の揺れによる建物被害を軽減するため免震構造の研究を行い、一つの実用的提案にたどり着く。
建物と基礎の間に、上端凹球面、下部凸球面の免震柱を挿入。
地震時に横揺れを受けても、免震柱が水平変位を吸収し、上部建物には大きな影響を与えないとする仕組みとした。

「免震」とは、建物自体を強くして地震に耐える「耐震」と違い、建物が地震力をなるべく免れる技術だ。
90年も前のこの装置は過渡的なものであるにせよ、免震という発想の転換を行い、実現させた意義は大きい。
この下関支店と姫路支店は、「世界初の免震構造の建物」という評価もあるほどだ。

現代の免震装置には、積層ゴムやダンパーが使われる。
今では「免震レトロフィット」として東京駅などの歴史的建造物の保存改修にも使われる技術となった。
この建物にも、いつか新しい免震装置が施され、末長く保存される日が来ることを期待している。

(山口近代建築研究会、一級建築士・原田正彦)

【メモ】下関市南部町21-23、日本遺産「関門ノスタルジック海峡」構成文化財、参考「免震構造の實施に就て」関根要太郎(日本建築学会、昭和10年)

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