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やまぐち近代建築ノート連載 第48回旧明木村立図書館(下横瀬公民館)~村民の文化教養向上への熱意

▲東側外観。寄棟屋根には、周辺の集落と同じ石州の赤瓦が乗る。外壁は当時の木造校舎と同じ下見板張りで、周囲には縦長の欄間付き上げ下げ窓が並ぶ。
[上右]移築前の平面図。渡り廊下で書庫、校舎と繋がっていた。普通閲覧室は板間で竿縁天井。特別閲覧室は「明城(=吉良)室」とも言った。床は一段高く、格天井となっている
[上左]南側玄関回り外観。左側の鳥居と灯篭は、隣接する厳島神社のもの
[下右]「校舎」の文字が刻まれた玄関屋根の棟瓦
[下左]子供たちが、普通閲覧室で読書にいそしむ姿を写した古写真(「明木図書館開館三十周年記念絵葉書(昭和11年)」より/県立山口図書館蔵)

 

2022年5月8日(日)、山口新聞の「地域文化」欄に、第48回記事「旧明木村立図書館(下横瀬公民館)」が掲載されました。
前回の旧山口県立山口図書館(第47回)と同様、この建物も昭和3(1928)年、昭和天皇御大典記念として建てられたものです。
明木図書館としては二代目ですが、この建物の実現には「瀧口吉良」、後の運営には「伊藤新一」という二人の人物の活躍が語り継がれています。
今回は、建物の建設経緯を含め、二人の偉人について書いてみました。

以下、「山口近代建築研究会HP」へ。(画像がクリアに大きく見えます。)
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萩市明木はかつての明木村で、萩往還沿いに今も赤瓦の歴史的街並みが随所に残る。
その中心部から南に約3km、山の緑と小川のせせらぎのある農村風景の中、大きな縦長窓を持つ「旧明木村立図書館」がポツンと建っている。

明木村の図書館は、明治39(1906)年、日露戦争記念として明木尋常高等小学校内に建設されたものが最初だ。
木造二階建て、二間×二間半と小規模だったが、村立としては国内で最も早い開館の歴史を持つ。
今ある建物は、昭和3(1928)年、昭和天皇御大典記念として建て替えられた二代目である。明木村長や衆議院議員を歴任した瀧口吉良の多額の寄付や図書等の寄贈により実現した。瀧口は、萩中学校内に郡立図書館も創設するなど、郷土の文化発展に大いに力を尽くした。
この図書館の発展には、もう一人キーマンがいる。大正9年に書記に着任、のち11代の館長となった伊藤新一だ。予算不足を補うため、村民の冠婚葬祭の際に本の寄贈を募ったり、児童の下校便を使って村民の要望する本を届けるなど、彼の熱心な経営手法は、当時の農山村図書館のモデルとして、全国的にも知られることとなった。

昭和31年、創立50周年を記念して図書館が新設されることとなり、この建物は公民館としての転用が決まる。一旦解体後、下横瀬にある厳島神社参道横の敷地に移築され、今も地区の集会や交流活動に使用されている。
地元大工たちによる素朴な擬洋風建築だが、村民の文化教養の向上を図った先人たちの努力には、頭が下がる思いだ。その熱意に応え、歴史を継承しようとする村民たちの姿勢も特筆に値しよう。

小学校内に建っていたという記憶をとどめるためであろうか。
玄関屋根の棟瓦には「校舎」の文字がくっきりと残されていた。

(山口近代建築研究会・一級建築士 原田正彦)

【メモ】萩市明木下横瀬、国登録文化財、参考「明木図書館開館三十周年記念帖」(1936年)伊藤新一

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