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やまぐち近代建築ノート連載 第47回旧山口縣立山口図書館(山口県春日山庁舎)~ドイツ風の採用と設計者の謎

▲北東側外観。徳山産御影石を混ぜた人造石仕上げのRC造3階建て。県有施設としては初のRC造と思われる。2階腰壁に並ぶ矩形の意匠はセセッションだ。
[上右]1階平面図。四方に玄関と書庫。2階は中央カウンターで、左右に男女別の閲覧室。3階は講堂と郷土志料室。(「山口県の近代化遺産」より加工)
[上左]南側外観。書庫は蔵書書棚を増やすためか、階高を低く調整した4階建て
[下右]正面玄関庇まわりに意匠が集中している
[下中] 「建築写真類聚~独逸近代建築彫刻」(大正11、12年)の中に、類似の図像が見られる
[下左]木下らが視察した鹿児島県立図書館(昭和2年、現存)は角地に建ち、外観はモダン。昭和56年以降、県立博物館として今も活用されている

2022年4月24日(日)、山口新聞の「地域文化」欄に、第47回記事「旧山口縣立山口図書館」が掲載されました。
防長先賢堂(第46回)と同様、この「山口縣立山口図書館」も東宮殿下行啓記念として昭和3(1928)年末に竣工したものです。
この建物は、以前から多くの謎がありました。

(1)工事記録(昭和3年)にある、「総体の様式はジヤマン(ドイツ風)セセッション式」とはどんなものなのか。どこがドイツ風なのか。
(2)当時流行りのセセッションに、なぜ「ドイツ風」を採用したのか。
(3)設計者は「山口県土木課」とされるが、中心的人物は誰か。

この記事では、これらについて同研究会の淺川均氏の研究や新たに発掘した資料に基づき、私なりの解釈を加えています。
また、残されたこれらの施設について、春日山全体を歴史文化ゾーンとして再整備することを提言しました。

以下、「山口近代建築研究会HP」へ。(画像がクリアに大きく見えます。)

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防長先賢堂(第46回)と同様、この「山口縣立山口図書館」も東宮殿下行啓記念として昭和3(1928)年末に竣工した。
前者は近代和風、こちらは洋風で、記録には「総体の様式はジヤマン(ドイツ風)セセッション式」とある。聞き慣れない用語だが、垂直性が意識された外観を言うのか…。

それより独特なのは、柱頭の卵型や正面庇壁の奇妙な植物、羊の角型の渦巻の意匠である。
類似の画像を、大正期の建築写真集「独逸近代建築彫刻」で確認した。
つまりセセッションに、ドイツ的彫刻をはめ込んだ造型をこのように命名したのだろう。

ドイツ風を採用したのは、当時のこの国の科学、芸術、建築への憧れからではないか。
大正11年には、ドイツ生まれの理論物理学者アインシュタイン博士が来日し、大正皇后にも拝謁している。

設計者として、先賢堂と同じ木下潔(東京高等工業学校建築科卒、1895~1962)の名が残る。
だが、昭和2年4月内務省復興局から山口に着任し、7月に図書館長らと鹿児島県立図書館等を視察、8月に東京に基本案を送った後、工事着工前の11月には県を去っている。
当時33歳の彼には荷が重すぎたのか、もともと平面計画を地元と調整するだけの役だったのか…。

とすれば、実施設計で最終的な形にしたのは、復興局か、施工を担当した大林組だろう。
いずれにしても、重い使命を持つ二つの施設を施工精度高くまとめ、御大典の年内竣工に間に合わせた仕事ぶりは見事だ。

さて、この建物、昭和48年に新図書館が後河原に移転した後、長く県の庁舎として使われていたが、現在空き家なのが、いかにも惜しまれる。
そこで、本県の歴史を総合的に紹介する「歴史博物館」としての再生活用を提案したい。
先賢堂は、別館として「講堂」に位置付けると良いだろう。
春日山周辺は、立地や歴史から見て、魅力的な都市空間形成のポテンシャルを秘めている。
残された近代建築群のコンバージョン(用途転用)やリノベーションによる再整備を、今後まちづくりの観点から一歩一歩進めることが大切だ。

【メモ】山口市春日山8-3、参考「旧県立山口図書館・防長先賢堂の設計者を探る」淺川均

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