2022年3月27日(日)、山口新聞の「地域文化」欄に、第45回記事「蜂谷ビル(旧東洋捕鯨株式会社下関支店)」が掲載されました。
下関市岬之町(はなのちょう)は、関門海峡に突き出した半円状の地形で、当時はU型の街路に沿って多くの鮮魚店や商店、市場がひしめく独特の町並みが形成されていました。
その中央の丘の上で、神殿のような存在感を見せるこの建物。
外壁の白モルタルと、窓回りの赤煉瓦とのコントラストが鮮やかです。
この建物は現在貸しビルとなっていますが、もとは「東洋捕鯨株式会社下関支店」として大正15年に建替えられたものです。
現在、その一角にレストランが入っており、取材を兼ねて妻とここを訪れ、ランチを楽しんできました。
捕鯨の歴史を持つ赤煉瓦の建物で、フレンチを。
そう、正に「五感で味わう近代建築」なのです。
以下、記事全文です。(画像、文章とも無断転載厳禁!)
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毛利藩の時代から盛んだった捕鯨は、長く網や銛による素朴な方法で行われていた。
明治になり、ノルウェー式捕鯨法で近代捕鯨の道を開いたのは、岡十郎(阿武郡奈古出身、1870〜1923年)である。
明治32(1899)年、岡らは日本遠洋漁業株式会社を設立。
42年には業界の合併を進めて東洋捕鯨株式会社とし、本社を大阪、支社を東京と下関に置いた。
大正期には国内の捕鯨事業をほぼ独占し、岡は「捕鯨王」とまで呼ばれたが、大正12年急逝。
彼の遺志を継いだ渋谷辰三郎の時代、大正15年に建て替えられたのが、この建物である。
ここ岬之町は、関門海峡に突き出した半円状の地形を持つ。
当時は、U型の街路に沿って多くの鮮魚店や商店、市場がひしめく独特の町並みが形成されていた。
その中央の丘の上で、神殿のような存在感を見せるこの建物。
外壁の白モルタルと、窓回りの赤煉瓦とのコントラストが鮮やかだ。
柱型の頂部や軒下の梁、二階腰壁には、セセッション様式の幾何学模様。
正面玄関には、奇妙な七角形の壁とアーチ。
内部は何度か改修もされているが、天井中心部の漆喰飾りや柱頭飾りが残されている。
東洋捕鯨は、その後日本捕鯨、日本水産へと変遷し、昭和9年からは南氷洋へも進出。
しかし、戦後捕鯨は衰退し、このビルの所有者も替わる。
島津海運下関営業所を経て、現在は「蜂谷ビル」の名称を持つ貸し事務所だ。
数年前から、その1階の一部にレストランが入っている。
店内中央のカウンターに座り、創作フレンチを味わってみた。
食事の合間、煉瓦がのぞく梁や古典的様式の天井を眺める…。
窓からは、海峡を行き交う船舶も見える…。
正に、五感で味わう豊かな時間と空間。歴史的建造物に新しい息吹をもたらす活用例と言えよう。
今、空家の近代建築に現代的なリノベーションを施す事例が増えてきた。
それが、都市に新たな魅力を加えることにも繋がる。
そのことに、多くの人がようやく気づき始めている。
【メモ】山口県下関市岬之町3-21他、参考「下関市史・市制施行~終戦」、「やまぐち近代建築探偵第57回」水井啓介