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やまぐち近代建築ノート連載 第42回 旧岩国税務署~両翼張り出しの造型が伝播

▲東側外観。周辺の古い街並みの中、白のドイツ壁に包まれたモダンなスタイルが目を引く。昭和40年に別敷地移転後は、民間によって活用されてきた。
〈上右〉岩国税務署北東外観。玄関廻りはシンプル
〈上左〉本郷村旧庁舎北外観。下見板張り。日本建築学会の保存要望書も提出されたが、平成31年解体
〈下右〉両建築共通の立面図。四方A面を基本とし、正面両翼にB面、中央入口にC面が張り出す。シンメトリーでバランスの良い造形がなされている
〈下左〉両建築共通の屋根伏図。四方A面に乗る寄棟屋根を基本とし、両翼B面の上部は切妻を見せる

2022年2月6日(日)、山口新聞の「地域文化」欄に、第42回記事「旧岩国税務署」が掲載されました。
今から見れば、普段見かける四角い事務所の外観を持つ建物ですが、白い「ドイツ壁」に身を包んだ、モダンな建築として登場しました。
特に、正面は両翼張り出しに切妻の小屋根を持つ安定感のあるファサード。
後にこの建物は、周辺の町や村のスタイルに大きな影響を与えていきます。
設計者は、大蔵省税務監督局で活躍した技手田中俊郎。
その彼の死には、大きな「秘密」がありました。
さて、その秘密とは…?

以下、「山口近代建築研究会HP」へ。(画像がクリアに大きく見えます。)

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明治29年(1896年)、全国に23の税務管理局(のち監督局)と520の税務署が誕生した。
県内では、山口、長府、岩国など11の税務署が設置され、うち岩国は玖珂郡全体を管轄する。
当初錦帯橋西側の横山に位置したが、その後町から東側大明小路沿いの土地の寄付を受け、新たな庁舎の建設に着手、大正14年(1925年)に竣工したのが、この建物である。

設計は、税務監督局の技手田中俊郎。
この頃の国の建築設計組織を見ると、大蔵省臨時建築課、逓信省営繕課、内務省内匠寮が主なもので、中央、地方に多くの技師、技手が揃っていた。
中でも大蔵省は、税務署のほか、議院、専売局、税関、裁判所など、実に多様な建築を所管した。
大正14年には、「大蔵省営繕管財局」として統括されている。

さて、その田中は、広島県立職工学校木工部を卒業後、税務監督局建築技手として多くの税務署建築の設計に携わったと見られるが、59歳で死去、その死亡日は昭和20年8月6日。
広島の原爆投下によるものだった。
死後、技手から技師に昇格している。

木造二階建て、寄棟屋根だが、両翼正面は切妻、外壁は「ドイツ壁」と呼ばれる表面が凸凹のある仕上げとなっている。
外壁表面にセセッションの櫛形や矩形、また屋根破風には半円状の通風口などの意匠も見られるが、全体的に寡黙な印象だ。
内部は、もともとが事務所で簡素な造りだが、二階天井には漆喰の装飾が施されていた。

この建物には隠れた秘密がもう一つある。
後に建設された深須村(昭和4年)、久賀村(昭和8年)、川上村(昭和11年)、鹿野町(昭和13年)、本郷村(昭和17年)など、近隣の役場の多くが、この税務署に似ているのだ。
外壁は下見板張りで異なるものの、切妻屋根の乗る両翼壁を張り出したシンメトリーな造型は、いずれも共通している。
つまり、岩国税務署が先駆モデルとなり、周辺役場のスタイルに大きな影響を与えた…。
しかも、今なお生き続けている。

そう考えると、原爆の犠牲となった田中も、少しは浮かばれるのではないだろうか。

(山口近代建築研究会、一級建築士・原田正彦)

【メモ】岩国市岩国3-13-9、国登録有形文化財、参考「岩国市史」「日本近代建築人名総覧」(堀勇良、2021年)

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