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やまぐち近代建築ノート連載 第38回 旧山口県電気局錦川第一発電所建屋~大正期の発電所 黙々と稼働

▲南側外観。東西二つのブロックで構成される。昭和17年、山口県電気局は解散し、これら施設は中国配電(現中国電力)が引き継いだ。
〈上〉国道434号から見る錦川第一発電所と松室大橋。橋は、発電所建屋手前300mの位置にある。(「中国地方の土木遺産」110頁。中国建設弘済会刊、山口県立図書館蔵)
〈下右〉発電所建屋正面。1、2階は大型発電機が配置され、大きな吹抜けの空間になっている。
〈下左〉松室大橋は、大正9年11月の建設で、国内最古級。長さ42m、幅員約4m、下路式曲弦ポニーワーレントラス橋と鋼製単純桁橋からなる。日本橋梁㈱製作で、国登録有形文化財

2021年11月7日(日)、山口新聞の「地域文化」欄に、第38回記事が掲載されました。
今回は、「旧山口県電気局錦川第一発電所建屋」です。
錦川は、錦帯橋のある岩国の川のイメージが強いのですが、水源は河口から遥か西の周南市鹿野内にあります。
この河川沿いに立地する対象、昭和に建設された数多くの発電所が、今も県東部の電力需要を支えているのです。
この「錦川第一発電所」は、山口県営初の水力発電所として、大正13(1924)年に竣工したものです。

以下、「山口近代建築研究会HP」へ。(画像がクリアに大きく見えます。)

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錦川は、錦帯橋のある岩国の川のイメージが強いが、水源は河口から遥か西の周南市鹿野内にある。
この河川沿いに立地する数多くの発電所が、今も県東部の電力需要を支えている。
この「錦川第一発電所」は、山口県営初の水力発電所として、大正13(1924)年に竣工した。
約7.5km西にある向道湖の取水口から水路を経た水が、後方の山に配された送水管を抜け、一気に建屋に流れ込む。
落差による力を利用して発電機のタービンを回し電力を得る「水路式発電」なのである。

建屋は、東側の錦川に近接した岩盤上に建設された鉄筋コンクリート造2階建て。
現存する国内の初期水力発電所「第2期蹴上発電所」(京都市、明治45年)は煉瓦造だが、大正期以後は、耐久性に優れたこの構造が次第に使われていく。
陸屋根と直方体で組み合わされた外観は、初期モダニズムを想起させるが、腰壁部分の四角形や発電室入口上部の櫛型など、大正期に流行ったセセッションの影響も見受けられる。
平面図を見ると、東ブロックは大きな吹き抜けを持つ発電機室を中心に変圧機室、蓄電気室などの機械室が占め、西ブロックは総二階で、修理室や製図室。
非常に機能的なプランと言える。

この建屋の設計者は、新井英次郎。
新井は、青森県出身、東京高等工業学校(現東京工業大学)卒、東北各地の工業高校教諭を経て、文部省、陸軍省の技師として活躍、国を退職した大正9年から13年まで山口県技師として働いた。
正にこの事業のために起用されたのだろう。彼は、のち台湾に渡り再び教職に就いている。

建設後、100年近く経過しているが、屋根や外壁の補修を繰り返しながら維持され、外見はほぼ建設当初のままだ。
知れず風雪に耐え、自然を相手に黙々と仕事を続けている孤独な施設。
近くにある松室大橋と共に歴史を語る近代土木遺産として顕彰し、時には心から感謝したいものである。

(山口近代建築研究会、一級建築士・原田正彦)

【メモ】周南市金峰西松室、新井英次郎設計、参考「山口県の近代化遺産」(162頁)、新井氏略歴は、山口県文書館提供

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