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やまぐち近代建築ノート連載 第37回 旧小野田セメント住吉社宅 (龍遊館)~耐火と耐震 混構造の住まい

▲南側外観。5寸勾配の寄棟屋根を持つ木造平屋建て。外壁はモルタル塗り、人造石洗い出し仕上げで、縦横に目地を切り、石造風に見せる。
〈上右〉当初平面図。「接客空間」は全体の三分の一を占める。「居住空間」は田の字型を基本とし、女中部屋、台所、風呂があった。屋外には浄化槽も
〈上左〉竣工時と思われる古写真。5棟のうち、1、2号棟が並んで写る
〈下右〉和室8畳の間がL型に3室連続している。壁は漆喰仕上げ
〈下左〉小屋裏画像。下部水平方向(黄色破線部)に、コンクリート壁が立ち上がっているのが確認できる

2021年10月24日(日)、山口新聞の「地域文化」欄に、第37回記事が掲載されました。
今回は、「旧小野田セメント住吉社宅(龍遊館)」です。
我が国最初の民営セメント会社「小野田セメント」の創業は明治14年。
その後、会社規模は急拡大し、従業員数が増えると、彼らの住まいの確保も大きな課題となります。
このため、会社は持家取得のための融資の充実や団地開発、そして社宅の建設も行うこととなりますが、この「住吉社宅」は大正13(1924)年、会社重役用に建設されたものなのです。
大きな寄棟屋根が目立つものの、内外とも意匠は少なく、控えめな印象を受けますが、注目すべきは、その構造なのです。


我が国最初の民営セメント会社「小野田セメント」の創業は明治14年。
その後、会社規模は急拡大し、従業員数が増えると、彼らの住まいの確保も大きな課題となった。
このため、会社は持家取得のための融資の充実や団地開発、そして社宅の建設も行うこととなる。
この「住吉社宅」は大正13(1924)年、会社重役用に建設されたものだ。

幹部用だけに、延床面積は約40坪と、当時16坪平均の一般社宅と比較すると、二倍以上広い。
平面は、廊下を軸に、東側に和室3室を中心とした「居住空間」、西側に洋間の応接室と和室客間の「接客空間」が配される。
大きな寄棟屋根が目立つものの、内外とも意匠は少なく、控えめな印象を受けるが、注目すべきは、その構造である。
内部柱、梁、小屋組は、すべて木造なのに対し、24cm厚の無筋コンクリート外壁がぐるりと周囲を巡る。
コンクリートと木造の「混構造」となっているのだ。

耐火性を意識した計画と言えるが、ではなぜ煉瓦でなく、コンクリートを使ったのか…。
自社セメントのPRの意図と共に、前年、12年の関東大震災の影響もあったと推察する。
震災により煉瓦造建築は甚大な被害を受けた。
この社宅は、煉瓦から耐震性にも優れるコンクリートの時代へと移り変わる過渡期の実験住宅として見ることもできよう。

大正期の暮らしぶりと技術を今に伝える貴重なこの社宅だが、実は5棟並んでいたうちの一棟である。
平成18年頃全面解体の話が出たが、保存を要望する住民運動の結果、この1号棟のみ残された。
現在は「セメント住吉社宅活用保存会」が無償で貸与を受け、地域の交流拠点「龍遊館」となっている。
洋室は古カフェに、和室は教室や講演などに使われ、地元の「住吉祭り」ではイベント会場にもなる。
ここでは、保存運動により培われた「絆」のもと、居心地よい空間が今なお保たれていた。

(山口近代建築研究会、一級建築士・原田正彦)

【メモ】山陽小野田市住吉本町、設計小野田セメント株式会社、近代化産業遺産(経済産業省)認定、参考「山口県の近代和風建築」P.225(瀬口哲義、2011年、山口県教育委員会刊)

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