• 私たちは、近代建築をテーマに、建築文化や景観まちづくりに関する研究を行っているグループです。

やまぐち近代建築ノート連載 第35回 旧殿居郵便局局舎~洋風建築への憧れ 農山村にも

▲南側外観。外壁全体は下見板張りペンキ塗りで、切妻屋根の平家建てと扁平ドーム屋根の八角形2階建てで構成される。隣に新局舎ができ、現在は空家だ
〈上右〉昭和15年頃の古写真。玄関庇は弓型ペディメントになっている。(河田麟氏蔵)
〈上左〉当初平面図。「三等郵便局局舎構造準則」では必要な部屋、設備などが定められていたが、外観、意匠などは比較的自由に決められた(同)
〈下右〉事務所内の箱階段は商家の意匠。屋敷(旧局舎)に使われていたものを移築したか
〈下中〉東京駅南ドーム。扁平な八角ドームと頂部飾りが殿居郵便局とよく似ている。
〈下左〉旧今津郵便局局舎(昭和11年、W.M.ヴォーリス設計、登録文化財)は、住民団体が管理。コンサート会場や落語の寄席にも使われる

2021年9月26日(日)、山口新聞の「地域文化」欄に、第35回記事が掲載されました。
今回は、下関市豊田町(旧豊浦郡豊田町)に残された「旧殿居郵便局局舎」です。
国道435号線沿いにあり、田園風景の中、突然現れる洋館に驚かされます。
家族で一の又温泉に行った時に訪れたり、建築学会調査で内部を見せていただいたりと、私にとっても思い出の多い建物です。
学会調査では、元局長の河田麟さんに案内していただき、貴重なお話を聞け、また古写真・資料なども提供していただきました。
特定郵便局(旧三等郵便局舎)は、地元の名士の土地・建物提供からスタートし、洋風を目指して地元の大工さんが見よう見まねで建替えていく事例が多かったと思います。
県内でもまだ何棟が残っていますが、いずれも空家で放置されたままのものが多いです。
かつて訪れた旧今津郵便局(滋賀県高島市)は、住民が小ホールとして活用し、クラウドファンディングなどで改修費も捻出していました。
この局舎も、現在は空家。
地域シンボルとなる近代建築を、住民自らが維持、管理していく仕組みが、県内各地にも根付いてほしいものです。

以下、「山口近代建築研究会HP」へ。(画像がクリアに大きく見えます。)


郵便事業の創業は明治4年とされる。
以後、郵便を取扱う施設は、主要都市では主に政府直轄の「郵便役所」、また地方においては、地域の名士が土地、建物を提供する「郵便取扱所」が担った。
この取扱所は、のち「三等郵便局」、昭和に「特定郵便局」となり、郵便制度の全国的普及を支えていったのである。

明治35年に開局した殿居郵便局も、当初は初代局長河田寛の屋敷の一部を使用したものだったろう。
大正10年頃、河田は局舎を洋風に建替えようと、地元の大工棟梁の石光孝一を連れて上京、西洋建築を見て回った。
設計前の視察旅行は、四階楼(第5回)の場合も同様だった。
帰村後、当時の構造準則を基に、視察時のスケッチや、「建築雛形書」(第8回)などを参考にし、平面や立面を決めていったと考えられる。

新局舎が完成したのは、大正12(1923)年10月。
木造平屋建てを基本とし、南西角部に八角形の2階建て塔屋が取り付く。
シンボリックなドーム周りの意匠、規模は違うが、中央停車場(現東京駅、大正3年、辰野金吾設計)の南北八角ドームに似ている。
上京した際、この建物から最も強いインスピレーションを得たのではないか。

内部は郵便事務所を中心に、集配人郵便物区分室、電話室、宿直室などがあり、八角形部分は応接室だ。
箱階段や畳部屋なども見られ、全体的に和風色も強い。
この建物は、地元大工が見様見真似で施工した「大正期の擬洋風建築」と言えるだろう。

大正、昭和にかけて建設された旧三等郵便局舎は、県内にもまだ何棟か残っているが、多くは空家で老朽化も進んでいる。
かつて訪れた旧今津郵便局(滋賀県高島市)は、住民が小ホールとして活用し、クラウドファンディングなどで改修費も捻出していた。
地域シンボルとなる近代建築を住民自らが維持、管理していく仕組みが、県内各地にも根付いてほしいものだ。

(山口近代建築研究会、一級建築士・原田正彦)

【メモ】下関市豊田町殿居1111-2、山口県指定有形文化財、参考「郵便創業120年の歴史」(郵政省、平成3年)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です