2021年7月25日(日)、山口新聞の「地域文化」欄に、第31回記事が掲載されました。
今回は、山口市宮野に、現在廃墟寸前の形で残る「旧寺内文庫」。
第18代内閣総理大臣、陸軍大臣であった寺内正毅は山口出身。
彼の遺志を継いだ子息寿一(彼も元陸軍大臣)が、大正10(1921)年、郷里山口宮野の邸内の一部に建設した私設文庫です。
現在、県立大学を中心に、歴史学習や文化交流等の拠点として、保存再生しようとする動きがあります。
また、「廃墟の女王」と言われた「摩耶観光ホテル」(神戸市、昭和5年)が、今春国登録文化財となっています。
この建物は、今年が百周年なので、この節目、これらの動きに力を得て、「文庫復活」に向けての新たなうねりが起こることを期待しますが、それよりなにより、緊急補修が急がれますね。
以下、「山口近代建築研究会HP」へ。(全文掲載、画像もクリアに大きく見えます。)
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明治から大正にかけて軍人として活躍し、陸軍大臣、朝鮮総督、更には第18代内閣総理大臣にもなった寺内正毅(1852~1919)。この建物は、彼の遺志を継いだ子息寿一が、大正10(1921)年、郷里山口宮野の邸内の一部に建設した私設の「桜圃寺内文庫」である。主に正毅が朝鮮で集めた古文書など1万9千冊の蔵書が公開された。
当時の防長新聞は、この設計者が「毛利家建築主任原技師」であることを伝えている。原技師とは毛利邸本館(第23回)や英雲荘(25回)の建設に携わった原竹三郎だ。原は、長年山口に滞在し、実績も豊富、更に海軍省技手出身に対する信頼もあった。
この建物の特徴の第一は、山口周辺では最早の鉄筋コンクリートの採用だ。同記事には「永久建替を要せざる様カアン式鐵筋コンクリートにて」建設されたとあり、その耐久性に大きな期待を寄せていたことがわかる。
第二に、矩形の部屋が連続する自由な平面。原は、雁行しながらつながる日本の木造家屋を設計するように、この平面を練ったのだろう。
第三は、ユニークな外観意匠。構造体でない装飾の柱型と、柱間のドイツ壁、窓枠の格子。それらは幾何学的な構成を見せ、過去の様式にとらわれない大正期特有の表現主義的な印象を与える。
原は、この建物で、寺内ら当時の軍人の気質、「質実剛健」を独自に表現したのだろう。そしてその姿に「永久」性を求めた。しかし、戦後隣接の県立女子短大図書館となり、昭和53年からはその役目も終え、空家が続く。今年百歳を迎えるこの建物は、廃墟寸前だ。
一方、県立大学を中心に、保存し、歴史学習や文化交流等の拠点として再生しようとする動きもある。また、「廃墟の女王」と言われた「摩耶観光ホテル」(神戸市、昭和5年)が、今春国登録文化財となった。百周年のこの節目、これらの動きに力を得て、「文庫復活」に向けての新たなうねりが起こることを切に願う。
(山口近代建築研究会、一級建築士・原田正彦)
【メモ】山口市桜畠3-1、参考「歴史的建築物寺内文庫を活かした地域づくりを考える」(平成27年、斎藤理ほか)、防長新聞大正10年12月29日