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やまぐち近代建築ノート連載 第29回 中野邸本店・本宅~閑院宮の提灯浮ぶ 北浦の名家

▲中庭から北側外観。木造平屋建て本宅に、木造3階建て擬洋風の塔屋が取り付く。外壁は下見板張り、縦長窓の上に三角破風が見られる。左は土蔵造りの蔵。
〈上右〉南西側外観。通用口を入ると、中に坪庭、玄関、台所があり、通り抜けができる。奥に見えるのは洋館の宝形屋根
〈上左〉洋館3階内部。窓建具や天井に、モダンな幾何学模様が見られる
〈下右〉配置・1階平面図。本店は町家型プラン、本宅は田の字。客人は東路地から、門を抜け本宅に。(山根氏作成の図を加工)
〈下左〉庭園の奥、正面が茶室。炉はなく、花頭窓があり、煎茶の茶室である。

2021年6月27日(日)、山口新聞の「地域文化」欄に、第29回記事が掲載されました。
今回は、山口県の北浦地区、長門市日置にある中野邸本店・本宅。
このあたりには、もともと文化財は少ないと思っていましたが、建築士の山根満広さんや石本治さんから紹介されたこの邸宅を見てびっくり。
街道側の「本店」は町家型居住、そして間に蔵のつなぎがあり、奥側に座敷となる「本宅」がある…。
本宅には、擬洋風の三階建て洋館が取り付く。
しかも、昭和4年には、皇族の閑院宮が宿泊された歴史も持つ。
こんな宝物があったんだ!と久しぶりに感動した近代和風建築です。

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桜門市日置古市の旧赤間ヶ関街道筋には、今も歴史的な街並みが残る。中で最も大きな町家は、中野家住宅だ。当家は江戸時代から続く呉服屋として、この地域の名家であり続けてきた。広大な敷地に多くの蔵、長屋などが並ぶが、メインは街道側の「本店」と奥側の「本宅」。いずれも、大正7年の建設と伝わる。

「本店」は間口8間もある平入りの2階建て。店舗(ミセ)の裏側に住居(イエ)があり、道と裏庭をつなぐ路地(トオリニワ)を持つ伝統的な町家型住居だ。店舗上部は回廊を持つ吹き抜けで、下から反物用戸棚の並びが見える。
一方、「本宅」は、賓客用の離れ座敷である。玄関も別で、東路地にある数寄屋門をくぐり、庭を抜けた奥にある。
本宅も大工による伝統工法で施工され、和室は書院や数寄屋、襖絵もあり、技術の高さを伺わせる。一方、平面プランは、中央に田の字型の和室4室、その四方ぐるりと外皮のように廊下が配された独特なものだ。これにより可変性を持つ各和室へのアクセスは確保され、更に増築などへの拡張性も増す。
この廊下の北西角に取りついた2間×2間の小部屋は、下見板張りの擬洋風三階建てで、1階は和室、2、3階が洋室となる。屋根は宝形、内部壁は漆喰塗りで、床、階段は板張りである。

記録では、昭和4年10月16日、皇族の閑院宮載仁親王が、油谷湾で行われた特別工兵演習観戦のため来町、その際この中野家本宅に宿泊された、とある。村人たちの提灯行列に応えて、閑院宮がこの洋館三階から提灯を振って応じられた。後、中野家には、御礼の銀杯が届けられたと言う。

そんな皇族方との心温まる交流の逸話を持つ中野邸。数年前から地元の祭り等で公開され、地元住民にもこの建物の持つ価値が理解されつつある。地域の宝物として、皆が守り、育てていきたいものだ。
(山口近代建築研究会、一級建築士・原田正彦)

【メモ】長門市日置上6057、参考「山口県の近代和風建築~中野本店」(山根満広氏、山口県教育委員会刊)

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