明治44年、山口県は、県庁舎と県会議事堂を同時に建替える設計を国に依頼し、大蔵省臨時建築部から提出された計画案を、工期4年総工費47万余円で県議会の可決を得た。
廃藩置県後も、県は幕末に建てられた山口藩屋形を庁舎として使い、また議事堂は明治11年に萩明倫館の古材を使用して建てたものだった。
6年後の大正5(1916)年、堀割に沿う敷地に、大小2棟の西洋館が竣工する。正面の顔は異なるが、いずれもルネサンス様式を基調とし、権威主義的でない、穏やかな外観を見せる。
特徴的な意匠は、まず正面玄関の八角形の列柱だ。
両端円弧で構成された柱頭は、和風の肘木やインド様式をイメージさせる独創的なもの。
また、外壁の幾何学的装飾はセセッションで、庁舎2階の柱頭部分は東洋風、内部玄関ロビー梁のグラフィカルな連続模様は洋風と和風…と、東西の意匠が混在しながら随所に施される。
他の庁舎にはないこれら造型的挑戦が行われた背景は何か。
当時、帝国議会議事堂の大プロジェクトを抱え、新たな様式の導入を検討していた臨時建築部。
トップの妻木頼黄は、セセッション等欧米の新様式を日本に紹介していた建築家・武田五一(1872~1938)を新たにチームに迎えていたのだ。
そんな中舞い込んだ山口県からの依頼。
平面や全体をルネサンス式にまとめたのは大蔵省の建築家、味付けの細部意匠は武田が担当したと想像する。
山口県庁舎は帝国議会を見据えた「習作」だった、とも位置付けられよう。
これら二つの建物は、高度成長期の昭和48年、県議会で一旦解体が議決されていた。
が、その後の県民らによる保存運動もあり、紆余曲折の末、2棟とも残された。
明治からこの地で、建替え、解体、保存の運命を共にしてきた兄弟庁舎。
その誇るべき歴史的価値と、両棟並び建つ景観的魅力をもっと全国に発信してほしいものだ。
(山口近代建築研究会、一級建築士・原田正彦)
【メモ】山口市滝町1の1、国指定重要文化財、設計/妻木頼黄、武田五一、大熊喜邦、施工/大岩組、参考「都道府県庁舎」(平成5年、石田潤一郎)