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やまぐち近代建築ノート連載 第18回「伊藤公記念館(旧伊藤博文邸)」~館に託した伊藤公の望郷の念~

▲ 伊藤公記念館(旧伊藤博文邸)
▲2階平面図、階段室、洋室4、生家

12月27日(日)、山口新聞に第18回記事が掲載されました。
今回取り上げたのは、明治43年に建設された「旧伊藤博文邸」。
伊藤の邸宅と言えば、東京から部分移築された和風の「萩別邸」、茅葺き屋根の民家風「金沢別邸」(横浜市)、別荘地大磯に建つ近代建築「滄浪閣」などが現存しています。
しかし、この館は、その歴史的経緯を紐解くと、やや特異な存在であることがわかります。

以下、「山口近代建築研究会HP」へ。(全文掲載、画像もクリアに大きく見えます。)
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初代内閣総理大臣の伊藤博文は、光市束荷(旧束荷村)に生まれ、幼年期を過ごした。
その地に建つこの洋館は、明治43年(1910年)建設の「旧伊藤博文邸」だ。
伊藤の邸宅と言えば、東京から部分移築された和風の「萩別邸」、茅葺き屋根の民家風「金沢別邸」(横浜市)、別荘地大磯に建つ近代建築「滄浪閣」などが現存している。
だが、この館は、その歴史的経緯を紐解くと、やや特異な存在であることがわかる。
まず、建設の切っ掛けだが、伊藤が先祖林家の三百年祭に当たり、縁者が一堂に会すための「家屋」を建築するよう命じたことであった。
つまり、もともと住まいとしてではなく、集会所的な建物として計画されたのだ。
そして、42年、伊藤は自らが図面を示し、帰国するまでにこの建物を完成するように指示して満州に渡った。
しかし、同年十月、民族主義者安重根の凶弾に倒れたため、彼は竣工した姿を見ることができなかった。
そんな悲劇の歴史を今に伝える記念碑的存在ともなったのである。

建物は、桁行七間、梁間四間半、木造モルタル塗り総二階建て。
建築的特徴の一つ目は、玄関入って、正面にある階段を中心としたシンメトリーな間取り。
階段自体を見せ場としている。
二つ目は、和室の造り方。
洋風外観と和室をそれぞれ生かすため、廊下で仕切り、和室を「入れ子」の形で配置した。
最後に、二階洋室の壁紙。
花柄の濃い緑の色調に包まれた、格調高い室内空間を実現している。

伊藤公はこの建物を「将来、図書館用に供するように」と命じていたとの話も伝わる。
現在は、眺めることが中心の西洋館となっているが、今後講演会や展示会など、もっと積極的に活用してはどうだろう。
故郷の人々が仲良く集い語らう場。伊藤公もそうした活用を望んでいるに違いない。

(山口近代建築研究会、一級建築士 原田正彦)

【メモ】光市大字束荷2250番地1、設計沖田某・原田猪作、山口県指定有形文化財、参考「元勲・財閥の邸宅」(平成19年、鈴木博之監修)

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