12月6日(日)、山口新聞に第17回記事が掲載されました。
今回のテーマは明治40年に建設された「旧宮崎商館」。
商人が営業をする建物ですが、特に、外国商人の営業所を指します。
かつて下関港は、県内外の石炭を貯蔵し、搬出する給炭港でした。
明治から大正にかけ、三菱社、貝島合名会社、英国系サミュエル・サミュエル商会など、石炭事業を営む大手企業が進出し、活況を呈した時代があったのです。
この宮崎商館も、かつては石炭商の事務所として年に建設されたものなのです。私が最初に見たのは、昭和54年。
友人と建築視察をした時で、その時は「ロダン美容室」でした。
歴史的な転用を追いながら、意匠についても考察しています。
以下、全文掲載。画像もクリアに大きく見えます。
———————————————————————————————————かつて下関港が、県内外の石炭を貯蔵し、搬出する給炭港であったことを、ご存じだろうか。
明治から大正にかけ、三菱社、貝島合名会社、英国系サミュエル・サミュエル商会など、石炭事業を営む大手企業が進出し、活況を呈した時代が確かにあったのだ。
その証として、この「旧宮崎商館」も、もとは石炭商の事務所として明治40(1907)年に建設されたものだ。
施主の宮崎義一は、神戸で石炭輸出業を興し、後下関を拠点に営業を広げた人物である。
煉瓦造二階建て、正面外観はシンメトリーで、1階中央の大きな玄関アーチと、2階の開放的なベランダの五連アーチが強く印象に残る。
全体が赤煉瓦で覆われるが、アーチに挟まれた要石や迫石、縦長窓枠コーナーストンや、窓上下に水平に伸びるバンドコースは、白御影石だ。
これほどレベルの高い建物なのに、設計者は不明のまま。
デザインを考察すると、中央の玄関アーチのデザインは、英国建築家W.コーワン設計の下関英国領事館と、2階のアーチはジャーディン・マセソン商会下関支店三階と、更に縦長窓枠は、A.N.ハンセル設計の同志社大学理化学館とそれぞれ似ている。
階高も高く、ディテールの緻密さからみて、たぶん英国人建築家の設計だろう。
この建物、戦災で屋根が焼け落ちたが、幸い外壁は残され、改修後の昭和30年代から、保険や化粧品会社の事務所、更に美容室としても使われた。
平成20年再び改修工事が施され、現在1階はクリニックだが、2階は空家になっている。
前面の西之端町大通は、かつて多くの洋風建築が建ち並ぶメインストリートだった。
アーチの内側から周辺を見渡せるベランダを持つこの建物。
人々の暮らしや町並みの変遷を紹介する歴史資料館として再生してはどうだろう。
(山口近代建築研究会、一級建築士 原田正彦)
【メモ】下関市田中町4-10、国登録有形文化財、〈参考〉日本遺産“関門ノスタルジック海峡”構成文化財WEB、「よみがえる建築遺産」(水井啓介)