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やまぐち近代建築ノート連載 第16回「柳井市町並み資料館(旧周防銀行本店)」~銀行建築を救った転用と曳家~

▲ 柳井市町並み資料館(旧周防銀行本店)
▲ 古写真、内部写真、都市計画道路により曳家を行った画像

11月22日(日)、山口新聞に第16回記事が掲載されました。
今回のテーマは地方銀行。明治40年に建設された「周防銀行本店」。
今も「柳井市町並み資料館」として使われ続けている秘訣は何か?
私は、繰り返しの「転用」と、都市計画道路に当たっていた問題を「曳家」の技術で切り抜けたことが大きなポイントだったと考えています。

以下、原稿の抜粋。(全文は山口新聞をお読み下さい。)
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古くから瀬戸内の商都として発展した柳井市。
その中心部の古市・金屋地区には、中世から継承されてきた宅地割の上、白壁造りの町家が約200mに渡って建ち並ぶ。
明治40年(1907年)、この町並みの一角に、「周防銀行本店」が竣工した。
木造モルタル塗り二階建てで、西洋古典主義に倣った外観。縦長窓や多くの洋風装飾を持つこの建物を、人々は驚きをもって見上げたことだろう。

設計者は、長年、日本銀行本店、各支店、山口では三井銀行下関支店(大正8年)や横浜正金銀行下関支店(大正9年)を設計するなど、銀行建築家として知られる長野宇平治とされてきた。
だが、後年見つかった棟札には、佐藤節雄の名が。多忙だった長野は平面立面の基本を考え、実施設計と工事監理は佐藤に任せたのだろう。
周防銀行は、明治31年、地元有力者らにより設立され、明治末期には県下最大の銀行にまでなったが、大正3年に倒産。

この建物は百十銀行、山口銀行の支店となった後、昭和50年には市が借り受け、市立図書館、更に町並み資料館として活用された。
民間から公共の施設に転用された比較的早い事例でもある。平成10年、銀行から寄贈を受け、正式に市の施設となり、平成12年の改修工事を経て、現在に至る。

その工事の際、「曳家」という手法で保存がなされたことは記憶すべきであろう。
拡幅される都市計画道路の一部が建物に当たっていたが、幸いに奥行き側に余裕があり、原形のまま北側に建物を曳いて移動する工法で見事危機を乗り越えたのだ。

明治後期には、地方の中小規模の設計にも日本人建築家が関与してくる。
以後、こうした古典様式の近代建築が、各地に波及していくのである。
(山口近代建築研究会・一級建築士 原田正彦)

【メモ】柳井市柳井津442、棟梁難波栄三郎・森下林吉、国登録有形文化財、参考「よみがえる建築遺産~旧周防銀行本店」(十河義典)

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