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やまぐち近代建築ノート連載 第15回「下関市上下水道局高尾浄水場」~今や文化財、明治の水道施設~

▲ 下関市上下水道局高尾浄水場 濾過池及び調節井上屋
▲ 上屋は円筒形煉瓦造で屋根は金属板、下中は着水井、下左は旧美歎水源地水道施設(鳥取市、大正4年、国指定重要文化財)

11月1日(日)、山口新聞に第15回記事が掲載されました。
今回のテーマは上水道。
明治も中頃になると、都市への人口の流入、外国人の往来、コレラ等悪疫などへの対策として、水道の近代化が徐々に進んでいく。
全国で給水開始が最も早かったのは横浜市で、明治20年。県内では明治39年(1906年)の下関市で、全国9番目の早さだった。
その下関の水は、市北部の内日貯水池に溜まり、12Kmにも渡る送水管を経て、ここ高尾浄水場の着水井に入る。
そこから濾過池で浄化され、配水池に集められ、給水管を通って、ようやく水道水として供給されるのだ。

以下、原稿の抜粋。(全文は山口新聞をお読み下さい。)


これらの施設整備には、主に二人の技師が関与している。
一人は、「日本上下水道の父」と呼ばれるスコットランド人のW.K.バルトン。お雇い外国人として帝国大学で教鞭を取り、内務省の技師としても活躍した彼は、明治22年、下関で現地調査を行い、基本計画をまとめた。
もう一人は、バルトンに学んだ技師、瀧川釼二。実施設計をまとめた後、工事長として全体の工事も統括した。

ここの最大の施設は、敷地南東、アーチ状の煉瓦天井を持つ配水池。
だが、芝生広場の地下にあり、目立たない。
逆に地上では、煉瓦と御影石でできた池と円筒形の上屋が目を引く。
このうち、円形の池は濾過池で、池底の砂に繁殖した微生物で水を浄化する「緩速濾過法」が使われている。
一方、調節井は、中に送水量調節のための制水井とバルブがあるだけだ。
だが、設計者は、単なる機械室でなく、人間の手で水供給を司る重要な場所と捉えたのだろう。
独特の屋根と煉瓦壁の外観は、近代水道施設の存在を知らしめる美しいシンボルの役割を果たしている。

高尾浄水場は、多くの主要な施設が国登録有形文化財となった。
ここは都市のオアシスであり、壮大な水の歴史と対話できる場所なのである。

【メモ】下関市春日町8-1、参考「下関市水道百年史」(下関市2006年)

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