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やまぐち近代建築ノート連載~第8回 旧萩学校教員室

▲第8回萩学校教員室 山口新聞記事

本日7月26日、第8回が掲載されました。
今回は、長州藩本拠地の萩の近代建築です。
世界遺産となった「萩反射炉」等の幕末明治の近代化遺産も残されてはいますが、近代建築は意外と少ないのです。
そんな中、この「旧萩学校教員室」は、現存する市内最古の明治期の洋風建築として貴重なものです。
明治20(1887)年、藩校明倫館を改組して創立された萩中学校教員室として、江向の館内に建設され、その後も尋常高等小学校の教員室や図書室として使用されました。
昭和9年、萩市役所庁舎の一部として300m南に移築。更に、昭和44年には、萩高同窓会により約2km西の現在地に移築されています。二度の移築を受けながらも、一貫して保存され、大切にされ続けてきた建物と言えるでしょう。

以下、原稿の抜粋。(全文は山口新聞をぜひお読み下さい。)
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正面外観はシンメトリーな凸形で、一階の屋根は寄棟、二階は方形。頂部に鬼の角のような立物という棟飾りが乗る。玄関ポーチは、切妻屋根に鬼瓦が乗り、丸や雲形の穴が開いたバージボードと言う連続する破風飾りが賑やかだ。この意匠と、外壁のペンキ塗り下見板張り、二階縦長の鎧戸などは、洋風のアメリカ様式でまとめられている。
しかし、明治初期の洋風建築は英独の様式が主流であり、米国の様式の建物は、北海道で開拓使たちが使った以外は、極めて事例が少ないのだ。
では、なぜこうしたデザインが萩にあるのか…。
私の推察では、当時多くの大工が参考にしたとされる「建築雛形書」の存在。雛形に掲載された米国意匠を見よう見まねで模倣した…。
もう一つは、この頃萩から100を超える世帯が北海道の山口村へ移住したという歴史。関係者が、開拓使のフロンティア精神をこの建築の意匠に込めた…。
資料が少ない分、設計者の思いへの想像は膨らむ。

〈メモ〉
萩市堀内132/県指定有形文化財/設計者施工者不詳/参考「山口県の近代化遺産~萩学校教員室」佐藤正彦

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