明治5年に開通の東京-長崎の架線を使い、明治6(1873)年山口市白石に山口電信局舎として建てられたのがこの西洋館だとされる。
桟瓦葺き方形屋根、木造総二階建て。外壁の下見板張り、軒と胴の蛇腹飾り、鎧戸付縦長両開窓が、西洋館としての存在感を高めている。
が、郵政博物館所蔵の『普通郵便局原簿』には、山口での電信業務開始の住所は、山口郵便役所(明治4年)内の山口市中市町と記されている。これからすると、電信局は繁華街の中市町にあり、白石のこの西洋館は当初から局長官舎として建てられたのではないか。
ただ、戦争や内乱など非常事態の際は、県庁に近いこの一角に通信設備を置き、臨時的な局舎として使用した、と考えれば、交信の歴史が伝わることにも納得がいく。
大工棟梁が見よう見まねで造った明治初期の西洋館は、「擬洋風建築」に位置付けられるが、これは「下見板張り系擬洋風」に位置付けられる貴重なものだ。
この住宅、現在空家となり、その行く末が案じられる。
窓から、正面の亀山に建つサビエル教会を眺めながら、ゆったりと珈琲を飲む…。
勝手ながら、そんな「ふるカフェ」に再生されることを夢見ている。
〈メモ〉末宗家住宅<所在地>山口市白石一丁目2322〈設計者〉不詳<文化財>国指定登録有形文化財