令和2年8月18日(火)10:00~12:00、山口県ヘリテージマネージャー(以下HM)協議会主催の見学会を実施しました。防府市文化財保護課、毛利報公会の協力により、実現可能となったものです。参加者は、15名。山口大学、 ...
続きを読む私の誕生日の8月2日、第9回が掲載されました。今回は、築130年の重みを持つ「河村写真館」です。 木造2階建て塔屋付き、下見板張り一部漆喰系の擬洋風建築。屋根は寄棟桟瓦葺き。塔屋では、月見を行ったと言う風流な話が伝わって ...
続きを読む本日7月26日、第8回が掲載されました。今回は、長州藩本拠地の萩の近代建築です。世界遺産となった「萩反射炉」等の幕末明治の近代化遺産も残されてはいますが、近代建築は意外と少ないのです。そんな中、この「旧萩学校教員室」は、 ...
続きを読む本日7月5日、第7回が掲載されました。今回は、近代建築の中でも和風を基調としたもの、いわゆる近代和風建築の「水西書院」。明治の建物に「洋風」が導入されると、それまでの大工中心の伝統工法は、相対的に「和風」と位置付けられま ...
続きを読む本日6月28日、第6回の近代建築ノートが掲載されました。対象は、今回建築物ではなく、セメントを製造した煉瓦製の竪窯。明治の民間初のセメント製造会社は、士族救済(授産)を目的に小野田で設立されました。その裏には、士族出身の ...
続きを読む▲第5回 四階楼 本日6月7日、第5回が掲載されました。対象は木造四階建ての擬洋風建築の傑作「四階楼」。外観、内装とも、鏝絵のオンパレード。「鏝絵博物館」と言ってもいいくらい。以下、原稿の抜粋。 室津半島先端の町上関。朝 ...
続きを読む以下、記事の抜粋です。 灯台は、建築ではなく土木施設の一つなのだが、同じ近代化の歴史を物語る建造物として、取り上げたい。明治初期、政府は殖産興業を進めるため、様々な分野で「お雇い外国人」と呼ばれる欧米の技術者を雇用した。 ...
続きを読む明治5年に開通の東京-長崎の架線を使い、明治6(1873)年山口市白石に山口電信局舎として建てられたのがこの西洋館だとされる。桟瓦葺き方形屋根、木造総二階建て。外壁の下見板張り、軒と胴の蛇腹飾り、鎧戸付縦長両開窓が、西洋 ...
続きを読む現存する県内最古の近代建築は、明治4年建設の岩国学校である。校舎は、まず従来の藩校を継承した和風建築として誕生した。桟瓦葺き入母屋屋根で、外装は漆喰塗真壁の二階建。正面8間×奥行5間の平面をなし、中央の玄関を入って直ぐに ...
続きを読む1月に行った「山口市内の近代建築写真展」が切っ掛けとなり、山口新聞で県内の近代建築をテーマとした連載をすることになりました。毎月、第1週と第4週の日曜日の地域文化欄に、文600~700字と写真で構成していきます。ご覧のよ ...
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