2023年4月9日(日)、山口新聞の「地域文化」欄に、第66回記事「下関丸山教会(旧日本メソヂスト下関教会)」が掲載されました。
下関市丸山地区には、ミッションスクールの梅光学院中高等学校があり、その西の丘陵地には、「日本基督教団下関丸山教会」が建っています。
この辺りは正に下関の「祈りの丘」と言っていいでしょう。
明るく南国風にまとめたスパニッシュスタイルのこの教会。
正面の縦長窓や丸窓はいずれも小さ目。
特徴的な意匠も、軒周りの帯状連続アーチのロンバルディア・バンドと、教会堂2階十字架のはめ込まれたチューダーアーチくらいで、全体はやや控えめな印象です。
さて、この教会堂の設計者は?どんな教会を目指していたのでしょう?
以下、「山口近代建築研究会HP」へ。(画像がクリアに大きく見えます。画像・文とも無断転用不可。)
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下関市丸山地区を走る市道丸山線を北上すると、東側高台に、キリスト教宣教師によって設立された梅光学院が見えてくる。
この筋を西に入った丘陵地に建つのは、「日本基督教団下関丸山教会」だ。
下関でのメソヂスト派教会としての創立は明治37年。
最初の教会堂は、明治41年観音町に建設されたが、44年一旦岬之町に移転。
その後、アメリカ人宣教師W.R.ランバスの助言もあり、大正10年ここの丸山の土地を購入し、15年に牧師館を兼ねた仮教会堂が建てられた。
念願のこの教会堂が建設されたのは、昭和13(1938)年のことである。
屋根は赤色のS字瓦、外壁は白色のスタッコ壁で、明るく南国風にまとめたスパニッシュスタイルだ。
正面の縦長窓や丸窓はいずれも小さ目。
特徴的な意匠も、軒周りの帯状連続アーチのロンバルディア・バンドと、教会堂2階十字架のはめ込まれたチューダーアーチくらいで、全体は控えめな印象だ。
塔屋部1階の玄関を左手に進み、会堂に入る。
ここは二層分吹抜けでむき出しの小屋組を見せ、両側アーチ窓からの光が降り注ぐ神聖な空間だ。
梁の中ほどにある小さな十字架が光っている。
設計者は、長府博物館(第59回)を設計した潮見長彦。
教会堂と塔屋の組み合わせや意匠の少なさなど、上田中町にあったヴォーリス設計の旧下関バプテスト教会(第54回、昭和5年)と似ている。
二人ともプロテスタントの信者であり、実用性重視の教会堂を目指す姿勢は共通しているようだ。
餅原牧師さんから、近くの梅光学院の生徒たちが時折訪れ、清掃や書物の整理などをしてくれると聞いた。
また、改修工事完成時には、パイプオルガンコンサートを行い、喜びを共にしたと言う。
地域との温かなつながりを大事にする丸山教会。
これからもファンが増えていくに違いない。
(山口近代建築研究会、一級建築士・原田正彦)
【メモ】下関市丸山町4-1-8、国登録有形文化財、参考「やまぐち近代建築探偵53」(高月鈴世、平成18年)