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やまぐち近代建築ノート連載 第64回柳井市役所余田出張所(旧余田村役場庁舎)~連続する三角破風 地域の象徴

▲南西側外観。木造二階建て、主屋根は寄棟だが、南側に三角の切妻破風を見せる。木製窓はアルミに、外壁下見板張りは樹脂化粧鋼板に改修されている
〔右上下〕1階、2階平面図。南側は総二階建て、北側は平屋建て。1階は、執務室、村長室、応接室、収入役室など。2階は、議場、議員控室、倉庫(参考資料P.256平面図を加工)
〔左上〕1階役場執務室内の古写真。長いカウンターがあった (参考資料同頁より転載)
〔左下〕2階議場内。長辺側南が議長・執行部席で、北側が議員席として使われたのではないか。奥に、畳敷きの議員控室がある

2023年3月12日(日)、山口新聞の「地域文化」欄に、第64回記事「柳井市役所余田出張所(旧余田村役場庁舎)」が掲載されました。

柳井市余田は、近世から続いた旧余田村で、市街地の西に位置するのどかな田園地帯です。
この建物は、昭和11(1926)年に建設されたその余田村の役場庁舎ですが、村役場として活用されたのはわずか18年。
田園風景の中、瀟洒な洋風役場の出現は、村民にとって驚きであり、また大きな誇りともなったでしょう。
その証拠に、老朽化の進んだ昭和52年には建て替えの話が持ち上がりますが、「余田のシンボルを壊すな」との反対運動が起こりました。
結果、残して改修されたとの話が伝わっているのです。
しかし、現在は空き家…。今後、どのような活用の可能性があるでしょうか。

以下、「山口近代建築研究会HP」へ。(画像がクリアに大きく見えます。画像・文とも無断転用不可。)

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柳井市余田は、近世から続いた旧余田村で、市街地の西に位置するのどかな田園地帯だ。
明治22(1889)年の町村制施行により、単独で近代の村となった。
この建物は、昭和11(1926)年に建設されたその余田村の役場庁舎である。
隣に名合八幡宮参道の鳥居と昭和の租税完納塔が並び建ち、併せて歴史的環境を形成している場所だ。

木造二階建ての正面は、中央庇と柱型、両翼を前方に出して凹凸をつけ、シンメトリーでリズミカルな造形を見せる。
白色を基調とし、窓の周囲や壁の角部に薄茶色の縁取りを施し、二色のコントラストで引き締める。
意匠的には屋根部と玄関ポーチの計4箇所の三角の切妻破風が特徴で、両翼には束を現したハーフティンバーがある。

平面は、両端に凸のある矩形プラン。1階は玄関、執務室を中心に行政用、2階は議会用と、階で用途を分ける。
階段東側は議員用、西側は行政用として使われた。
洋風小屋組に残る棟札から、設計監督は柳井町の工匠兼清政之助、施工は田布施町の小田京助と判明している。

戦後の昭和29年、周辺4村と合併して柳井市となったため、この建物は余田出張所となった。
村役場として活用されたのはわずか18年だったが、田園風景の中、瀟洒な洋風役場の出現は、村民にとって驚きであり、また大きな誇りともなっただろう。
その証拠に、老朽化の進んだ昭和52年には建て替えの話が持ち上がるが、「余田のシンボルを壊すな」との反対運動が起こった。結果、残して改修されたとの話が伝わっているのだ。
その後も余田公民館、特定郵便局などと活用を維持してきた。だが、今は空き家状態が続く…。

この周辺には保育園や小学校があり、近年は新しい住宅も増えている。
そこで、新旧の住民どうしが交流できる場、また子供たちが余田の歴史や文化を学ぶ地域学習の場としてはどうだろう。
歴史ある空間の中で心通わせる中、新たなシビックプライドが育まれていくのではないか。

(山口近代建築研究会、一級建築士・原田正彦)

【メモ】柳井市余田1417、参考「山口県の近代化遺産」(福田東亜、平成11年)

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