• 私たちは、近代建築をテーマに、建築文化や景観まちづくりに関する研究を行っているグループです。

やまぐち近代建築ノート連載 第53回JR西岩国駅駅舎~百年変わらぬ姿、地域で守る

▲北西側外観。車寄せ、上部三角壁、寄棟屋根で構成される主要立面は、対称性が意識されている。このため、左棟の外壁・屋根はずらしてある。
〔上右〕西岩国駅と岩国駅の位置図。錦帯橋、城下町に近いのは西岩国駅 (国土地理院地図を加工)
〔上左〕玄関回り外観。上部中央壁は、後方ドーマー屋根と一体となっている
〔下右〕昭和レトロのシャンデリアが吊り下げられた待合室。奥は事務室、休憩室。最盛期は職員も30名いたと言うが、現在は無人だ
〔下左〕改札口を抜けると、長いプラットフォーム。その柱、梁、方立の軸組は、萩駅舎(第40回)のものと類似。標準設計なのだろう

2022年9月11日(日)、山口新聞の「地域文化」欄に、第53回記事「JR西岩国駅駅舎」が掲載されました。
都合で2週間ぶりとなりましたが、やはり自分の書いた記事と、苦労して撮影した写真が紙面に載るのはうれしいものです。
歴史を調べると、この「西岩国駅」は、これまでに路線名と共に名称が4回変わっています。
「岩徳線・岩国駅」からスタートし、「山陽本線・岩国駅」、「山陽本線・西岩国駅」そして、現在の「岩徳線・西岩国駅」と…。
旧麻里布村と旧岩国町、どちらの駅が「岩国駅」として相応しいのか…。
柳井経由の路線と、岩国-徳山を結ぶ路線、どちらが「山陽本線」に相応しいのか…。
この引き合いが面白いのですが、このように町の盛衰により路線名や駅名が変遷しても、百年近くこの姿は守られてきたのです。
今は無人のこの駅。
駅から錦帯橋までの間には歴史的町並み、近代建築が数多く存在しています。
賑わいを戻すには、保存活用の事例を広げることにより、全体の空気を変えていく「エリアリノベーション」を進めてはどうでしょう。

以下、「山口近代建築研究会HP」へ。(画像がクリアに大きく見えます。)

———————————————————————————————-

山陽鉄道広島~徳山間の開通と共に、麻里布村に「岩国駅」が開業したのは明治30年。
その32年後の昭和4(1929)年、岩徳線が部分開業したため、岩国駅は「麻里布駅」に改称、旧城下町を持つ岩国町に新たに建設された駅舎が「岩国駅」となった。これが現在の西岩国駅駅舎である。

木造平屋建て、瓦葺き寄棟屋根、外壁に半円アーチを持つ縦長上下窓が連続して並ぶ。
また、正面車寄せに架かる緩やかな弓型アーチは、正面に三連、側面と合わせて五連となり、錦帯橋(五橋)をイメージする人も多い。
だが、実は後方の柱にもアーチがあり、全部で8連なのだ。
設計したのは国、鉄道省であり、観光受けする造形を採用したわけではないだろう。
一方、車寄せ上部の独特な意匠は、当時の建築意匠の流れを汲んだものだ。
三連アーチ窓両側の各三列の付け柱を持つ段状切妻の造形は、「表現派風」だ。
外壁の四角模様は「セセッション」、アーチは「古典主義」。
つまり、様々な様式を自由に組み合わせた「折衷様」の建築と言える。
設計者は、この駅舎に、都市の賑やかさを与えようとしたのだろう。

昭和9年、岩徳線は山陽本線となり、以後多くの観光客や通勤通学客で賑わった。
だが、市の発展は次第に新市街地に移る。
昭和17年、麻里布駅が岩国駅に戻り、この駅は「山陽本線西岩国駅」となった。
更に昭和19年、路線名も変更され、「岩徳線西岩国駅」として今に至るのである。

町の盛衰により路線名や駅名が変遷しても、百年近くこの姿は守られてきた。
かつての賑わいを取り戻すには、単体でなく地域で守り育てる姿勢が求められよう。
駅から錦帯橋までの間には町並み、近代建築が数多く存在する。保存活用を広げることにより、全体の空気を変えていく「エリアリノベーション」を進めてはどうだろう。

(山口近代建築研究会、一級建築士・原田正彦)

【メモ】山口県岩国市錦見6-15-3、国登録有形文化財、参考「やまぐち近代建築探偵~西岩国駅舎」福田東亜、平成18年

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です