2022年6月12日(日)、山口新聞の「地域文化」欄に、第50回記事「旧日下医院本館」が掲載されました。
外観ドイツ壁で覆われ、意匠は「セセッション」と「古典主義」の折衷洋。
正面上部の不思議な文様は、医療用具の「聴診器」や「薬壺」を抽象化したのか、「日下」を意味するのか…。
未だに謎です。
今回は、山口近代建築研究会会員の山崎一夫氏の平成10年頃からの保存活動について記載しました。
山崎氏を中心に、価値と魅力を見出した地元建築士らが、再生プロジェクトを立ち上げたのです。
日下氏と一緒に活用方法を考えたり、見学会や子供スケッチ大会などを催して建物のファンを増やしていきました。
少し時間はかかりましたが、これらの行動が平成20年の文化財登録へと繋がっていくのです。
以下、「山口近代建築研究会HP」へ。(画像がクリアに大きく見えます。)
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周南市の永源山公園東に広がる土井地区。
酒造場や町家などの古い町並みに沿って歩くと、赤瓦にベージュ色の西洋館、「旧日下医院」が次第に姿を見せる。
建物は昭和3(1928)年の建設。
木造総二階建て、外壁は表面モルタルを粗く仕上げたドイツ壁。
軒下の歯型、窓上の弓型破風は「古典主義」、腰壁や四隅の付け柱上部の帯状模様は「セセッション」だ。
正面上部の不思議な文様は、医療用具の「聴診器」や「薬壺」を抽象化したのか、「日下」を意味するのか…。
平面は一階二階とも中廊下形式で、廊下南側が患者用、北側と奥側が医者・看護婦用ゾーンで、二階は7室の病室で占められる。
棟札や図面から設計は徳原辰次郎とされるが、木造技術を継承し洋風、和風を手掛けた工匠の一人だろう。
この頃には、洋風建築もある程度定型化し、工匠らの技術習得も進んでいたようだ。
閉院後はしばらく借家となっていたこの建物に対し、平成10年頃から新たな動きが起こる。
その価値と魅力を見出した地元建築士らが、再生プロジェクトを立ち上げたのだ。
日下氏と一緒に活用方法を考えたり、見学会や子供スケッチ大会などを催して建物のファンを増やしていった。
こうした動きもあって、平成20年には国登録文化財となり、登録プレートの除幕式には日下氏らを招き、地域を挙げてお祝いしたと言う。
個人所有の歴史的建造物を守るには、所有者の愛着と活用への理解が必須だ。
住民、市民、行政が普段から「地域の宝物」としての魅力発信を行うこと、また「どう宝物を輝かせるか」を所有者を交えて語り合うことの大切さを、この建物は教えてくれる。
(山口近代建築研究会、一級建築士・原田正彦)
【メモ】周南市周南市土井2丁目4−9、参考:山口近代建築研究Vol.1「生き永らえる建築~旧日下医院の保存を願う」山崎一夫(平成15年)/山口県文化財 第40号「旧日下医院の保存と活用について」 川上浩史(平成21年)