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やまぐち近代建築ノート連載 第 49 回永山本家酒造場事務所(旧二俣瀬村役場)~庁舎、酒造に古カフェ加え

▲北西側外観。木造二階建て、赤瓦切妻屋根。「男山醸造元」の箱看板と杉玉が出迎える。手前、厚東川にかかる木田橋(1936 年)の欄干も歴史を感じさせる
〈右〉役場時代の平面、断面。庁舎は、役場事務室、村長室、収入役室、炊事場。議場は階段のほかは東側に演台を持つ一室構成
〈左上〉2階旧議場は、現在「フタマタセコーヒー」に。天井は縦横斜めの小梁に板張り。窓からは厚東川と田園風景が望める
〈左下〉厚東川対岸からの酒造場全景。この地は、旧山陽道の渡船場だった。永山本家が創業したのは、明治 21 年と言う

 

2022年5月22日(日)、山口新聞の「地域文化」欄に、第49回記事「永山本家酒造場事務所(旧二俣瀬村役場)」が掲載されました。
前回の旧明木図書館(第48回)と同様、この建物も昭和3(1928)年、昭和天皇御大典記念として建てられています。
天皇の行幸や皇族方の行啓、また御大典などを機に、庁舎や図書館などの公共建築が建てられるということは全国各地で見られたことです。
把握はしていませんが、山口県は「虎ノ門事件」のことがあり、特にその傾向が強かったのではないでしょうか。
今回は、現在は非常に早く庁舎からの転身、転用を果たした村役場の歴史を紐解いてみました。

以下、「山口近代建築研究会HP」へ。(画像、記事とも無断転用を禁ず!)

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南北細長い盆地に大小の集落が点在する宇部市北部の二俣瀬地区。
明治期には中央に流れる厚東川沿いに数件の造り酒屋が建ち並び、酒造米を精白する水車が回っていたと言う。
今では、銘酒「男山」で販路を確立した永山本家酒造場1軒となってしまったが、旧山陽道に架かる木田橋の東橋詰めには、この店の醸造場や酒蔵などが一大景観を呈している。

その一角にある二階建ての西洋館は、もと二俣瀬村役場の庁舎だった建物だ。
明治22年、厚狭郡五つの村が合併して二俣瀬村となり、39年後の昭和3(1928)年、昭和天皇の御大典記念として建てられたものである。

1階が庁舎、2階が議場の平面プランは、当時の役場庁舎の典型スタイルだ。
外観は、中央に玄関を配置し、縦長の窓が連続するシンメトリーの構成。
外壁はモルタル塗の上に人造石洗い出しで、上下窓間はドイツ壁。
玄関上部には三角破風、その軒下には日の出型の意匠。
様々な表情の壁面を、水平目地で引き締めている。

二俣瀬村は昭和29年、宇部市と合併。
建物はしばらく支所として使われたが、国道2号沿いに新しい支所が完成し、行政施設としての役目を終えた。
昭和40年、隣接するこの会社が買い取り、新たに事務所として使われ始め、現在に至っている。

10年ぶりに訪れたこの建物は、外観は維持しつつ、内部は大きく改装されていた。
一階玄関手前側は広々とした明るいホールで奥側に事務所、そして二階はお洒落な古カフェに変身。
縦長窓、階段の手摺と親柱、天井はそのまま、大きな丸テーブルは酒樽のフタを利用したものだ。
記憶を継承したリノベーション空間で、深い味わいのコーヒーを飲む。
帰り際、晩酌用に「貴」を一本…。

(山口近代建築研究会・原田正彦)

【メモ】山口県宇部市大字車地字川部138-1、国登録有形文化財、参考「山口県の近代化遺産」P.254福田東亜(平成10年)

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