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やまぐち近代建築ノート連載 第28回 旧山口県立図書館書庫 (Creative Space赤れんが)~館長熱意の結晶 市民が守る

▲ 北東側外観。3階建て煉瓦書庫は、2階3階が一体の吹抜けを持つホール、1階は展示室に改修。ガラスの箱で繋がれた白い棟は、増築された事務所棟
〈上右〉知事自ら図面を引いたと言う初代図書館配置平面図。煉瓦書庫建設に伴い、前書庫は北側に移築。本館出納所と書庫は廊下で繋がれている。(「五十年略史」P.23を加工)
〈上左〉保存運動が起こった昭和56年頃の煉瓦書庫。1階左端に入口が確認できる。
〈下右〉山口県教育会館時代の書庫(「山口県教育会誌」平成11年山口県教育会刊)
〈下左〉西側外観。両端凸凹の櫛型意匠は、将来の増築を意識したものと言われる

2021年6月4日(日)、山口新聞の「地域文化」欄に、第28回記事が掲載されました。
今回は、旧山口県立図書館書庫 (Creative Space赤れんが)。
桜並木や蛍で知られる山口市一の坂川ですが、その川に架かる亀山橋近くの赤煉瓦を巡る歴史を紐解いています。
今回は、「山口図書館五十年略史」(昭和28年刊)に助けられました。
特に、初代図書館の配置・平面が載っていたので、それを現状の画像と合成して、書庫の位置がなぜあの位置なのかを特定してみました。
竹田千代三郎知事自らが図面を引いたと言う初代図書館配置平面図。
本館の出納所(カウンターのある部屋)と書庫は、近接する部屋として、動線上で繋がれていたのでした。
当時の書庫入口の位置とぴったりでした。

以下、「山口近代建築研究会HP」へ。(全文掲載、画像もクリアに大きく見えます。)
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桜並木や蛍で知られる山口市一の坂川。今回は、川に架かる亀山橋近くの赤煉瓦を巡る歴史を紐解こう。
明治36年(1903)、もと山口明倫館兵学寮、山口中学の跡地に、初代の県立山口図書館が開館した。設計は、当時の知事武田千代三郎と、初代館長佐野友三郎が行っている。この時点では、書庫も木造で小規模なものだ。
佐野は活動を広げ、大正期に入ると、蔵書の増大に伴い、最新式の書庫の計画を進める。大正7年(1918)、山口県技師藤本勝往の実施設計、大岩組の施工により竣工したのが、この煉瓦造三階建ての第二書庫なのだ。窓には鉄扉、内部にはリフトや貴重書専用書棚などの設備が備えられた。また、8年前建替えられた木造の第一書庫は北に移築され、巡回文庫用に使われた。この頃が、書庫として最も順調に活用された時期だったろう。
ところが、そのわずか10年後の昭和3年、二代目県立図書館が春日山に新築移転。佐野も大正9年に急逝しており、主を失った書庫は、新設された山口県教育会館の倉庫に転用。更に50年後の昭和57年、その会館も大手町に移転すると、書庫だけがポツンと残された。

いよいよ解体か…。その時、地元建築士や学者らが「赤れんがの会」を結成、保存運動に立ち上がる。山口県庁舎の保存決定にも力を得、会誌発行や募金などの活動は次第に広がりを見せた。山口市との協働も進み、平成2年、国の「ふるさと創生事業」資金を活用する形で保存が決定。平成4年、市民の文化芸術交流の場として見事に甦ったのである。

この地を巡る主役は幾度も変わったが、脇役の方が残り主役となった。建物が持つ人間的な物語、煉瓦の景観的魅力…。いや、結局はそれらを活動の軸に据えた市民の努力と熱意が実を結んだのだ。廃墟寸前の建物も、努力次第で一発逆転、再生できる。これは、そんな勇気を与えてくれる建築なのである。
(山口近代建築研究会、一級建築士・原田正彦)

【メモ】山口市中河原町5-12、国登録有形文化財、参考「山口図書館五十年略史」(昭和28年、山口県立山口図書館刊)

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