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やまぐち近代建築ノート連載 第26回 旧県立教育博物館維新記念室~都市景観に潤い与える赤煉瓦

▲南側外観。煉瓦造り平屋建て、寄棟屋根。玄関ポーチと外壁短辺一部には、三角破風を持つパラペットが立ち上がる。臥梁、窓枠、基礎は人造石仕上げ
〈上〉古写真「県立教育博物館と維新資料室」(公益財団法人防長倶楽部提供)。教育博物館には小塔が乗る。軒裏、窓枠、外壁には幾何学模様が施されるが、正面の三本の線型は毛利の三本の矢に因んだものか?
〈下右〉西立面図、断面図、平面図(山口県の近代化遺産P.248を加工)。断面を見ると、洋小屋だが、大梁は鉄材で吊ってあるようだ
〈下左〉北側外観。煉瓦の赤と窓枠の白のコントラストが美しい。窓枠上部の三本の線型は、本体と同じ意匠

2021年5月2日(日)、山口新聞の「地域文化」欄に、第26回記事が掲載されました。
今回は、山口市内の都市街路・パークロード沿線にひっそりと建つ近代建築、「旧県立教育博物館維新記念室」。
この周辺は多くの近現代建築があり、さながら『山口建築博物館』と呼べるようなエリアとなっています。

この建物は、大正6(1917)年、大正天皇の大典記念として建てられた「山口県立教育博物館」の付属棟でした。
しかし、付属棟とは言え、教育博物館本体は木造なのに、この建物は強固な耐力と優れた耐火性を持つ煉瓦造。
つまり、小規模ながら、別格の建物として設計されたことが分かります。
現在は使用されてはいませんが、幸いに屋根も吹き替えられており、大切に維持されてきたようです。
何か現代に生かす方法はないものでしょうか。

以下、「山口近代建築研究会HP」へ。(全文掲載、画像もクリアに大きく見えます。)

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山口県庁から南に延びるパークロード周辺には、数多くの近現代の建築が建ち並び、魅力的な都市景観を呈している。
そのエリアの一角、県立博物館敷地内に、小規模ながら風格のある煉瓦建築が姿を見せる。
この建物は、大正6(1917)年、大正天皇の大典記念として建てられた「山口県立教育博物館」の付属棟「維新記念室」だ。
教育博物館は、当時社会教育や、青少年向けの精神教育を行う中心施設として、前身の「防長教育博物館」から譲り受けた明治維新功労者の遺品・遺墨や教育参考品の収集、観覧を行っていた。
維新記念室は、外壁をイギリス積み煉瓦とし、周囲に17の縦長窓が対称的に配されている。窓枠に三本の矩形、臥梁表面に丸型の幾何学模様が薄く施されているが、これらは博物館本体に倣ったセセッション様式だ。
内部は、床が人造石研ぎ出し、壁と天井は白漆喰塗りと簡素な造りだが、天井は高く、明るい展示向きの空間が広がっている。
両棟の設計時期は大正4年頃と考えられるが、その時期は山口県庁舎・議会棟(第21・22回)の建設の最盛期。
県の内務部土木課十余名の建築技術屋にとって、二つの大事業をこなすことは相当な激務だったろう。
国から派遣された建築技師の藤本勝往(明治40年東京帝大卒)をチーフとし、正に総力戦により実現させた建物だと思う。
改めて構造を比較すると、本館は木造だが、記念室は煉瓦造。
貴重な維新記念資料を展示、保管するため、強固な耐力と優れた耐火性を持つ別格の建物として設計されたことを物語っている。
昭和45年、本館は現代建築家・坂倉準三の設計で全面建て替えとなったが、幸いにこの建物は残された。
美しい煉瓦の外観と共に、「維新」という名の歴史的重みが解体を阻んだのではないだろうか。
(山口近代建築研究会、一級建築士・原田正彦)

【メモ】山口市春日町8番2号/設計山口県内務部土木課、参考「山口県の近代化遺産」(福田東亜/山口県)「山口近代建築研究~山口県旧県庁舎及び県会議事堂をめぐる建築技師」(淺川均)

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