2021年4月25日(日)、山口新聞の「地域文化」欄に、第25回記事が掲載されました。
今回は、毛利家ゆかりの近代和風建築第二弾「三田尻御茶屋」。
歴代藩主が、参勤交代や領内巡視を行った際の休泊や、賓客を迎える際に利用した萩藩の公館です。
毛利邸本館と同様、ここ御茶屋にも西洋館は建ちませんでした。
長年培われた伝統的工法を基本としながら、設備、材料、構造など実用的な部分での近代の導入を図りつつ、和風の維持、発展を目指してきた建築である、との視点からまとめています。
以下、「山口近代建築研究会HP」へ。(全文掲載、画像もクリアに大きく見えます。)
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今回は、毛利家ゆかりの近代和風建築第二弾「三田尻御茶屋」。
歴代藩主が、参勤交代や領内巡視を行った際の休泊や、賓客を迎える際に利用した萩藩の公館だ。
萩往還の終点ともなるこの建築群は、承応3(1654)年、2代藩主毛利綱広が建設、天明年間(1781~89年)7代重就の時代には、今の数倍もの規模を誇った。
明治維新後は、藩政改革により規模はかなり縮小され、14代元昭の居住する別邸として使用。
その後、昭和14年土地と建物が毛利家から防府市に寄付された。その際、「英雲荘」と命名され、以後公会堂などの用途として利用されてきた。
これまで幾度も改築の変遷を重ねてきたが、現建物は4棟に区分される。
主要部は、嘉永4年13代敬親が改築した「大観楼棟」。
名のとおり、2階から海への眺望が素晴らしかったと伝わる。
その西側に明治31年増築の「奥座敷棟」。
東側には、一体の棟だったものを分離する形で、大正6年に改築された「玄関棟」と「台所棟」。
この時点で、概ね現在の姿となる。
この大正の改修には、毛利邸本館(第23回)を設計した原竹三郎が関わっている。
内部は、伝統的な書院造の和風空間が広がる。
細部を見ると、欄間や障子はいずれも繊細な意匠。
一方襖絵は毛利家紋章の沢潟や竹、扇子などの模様が施され華やかだ。
この建物で、強いて近代を探すとすれば、本館とよく似た電燈器具、シャンデリアの採用であろう。
次に、内部の環境向上と共に、モダンな外観を与えるガラス窓の全面的な使用。
大正期以降、国産の板ガラス普及が背景にある。
もう一つは、土蔵の屋根部が、キングポストトラスの洋小屋であることだ。
毛利邸本館と同様、ここ御茶屋にも西洋館は建たなかった。
長年培われた伝統的工法を基本としながら、設備、材料、構造など実用的な部分での近代の導入を図りつつ、和風の維持、発展を目指してきた建築だと言えるだろう。
(山口近代建築研究会、一級建築士・原田正彦)
【メモ】防府市お茶屋10-21、国指定史跡、設計原竹三郎(大正)、施工藤井唯雄、(明治)、参考「史跡萩往還 三田尻御茶屋保存修理工事報告書」(防