2021年4月4日(日)、山口新聞の「地域文化」欄に、第24回記事が掲載されました。
今回は、遥か長崎から移築され、下関に根付いたベランダ・コロニアル様式の「めぐみ幼稚園第二園舎(旧福音書店)」。旧バプテスト伝道社団神父レイ邸とも、長崎・福岡から赴任した神父ワーンが設計指示していたとか、いろいろと言い伝えのある建物です。
ここでは、新たな知見として、屋根の形状から移築、増改築の経緯を推察してみました。
確かに、美しいコロニアルスタイルの西洋館なのですが、屋根形状が非対称だし、ベランダ柱のスパン割が不均等…。
この「外観からくる違和感」の源を探ろう…と考えました。
以下、「山口近代建築研究会HP」へ。(全文掲載、画像もクリアに大きく見えます。)
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下関市中央部の小高い丘を目指し、細い路地と石段を登り、ようやく見えてくる白い西洋館。この建物は、下関バプテスト教会に派遣された宣教師用住宅として、大正5年(1916)頃、長崎から下関市に移築されたと伝わる。その後、福音書店や河村邸などを経て、現在はめぐみ幼稚園の園児室や図書室として使われている。
外観は、1階のアーチ、2階の菱格子の欄干などの意匠が印象的な「ベランダ・コロニアル様式」だ。アジアの植民地で用いられた開放的なベランダを特徴とし、日本でも、長崎の「グラバー邸」や「旧三菱第二ドックハウス」などが代表的なものだ。
移築前の姿形は不明だが、屋根の形状から移築、増改築の経緯を推察してみる。
まず、明治38年の建設とされる長崎の建物は、東側の寄棟部分(下図赤)だろう。7間×4間の平面で長辺側に玄関、ベランダがあった。だが、ここの移設先では、敷地形状とアプローチから、やむなく東向きに配置し、西(青)・北(緑)に棟をつなげて増築。玄関が南側となったため、ベランダも南に移築し、現在の形になった、と考えられる。柱間隔が微妙に違い、真ん中のアーチが不自然に横長なのは、もと7連のアーチを移築後6連にしたことによる工夫と奮闘の結果であろう。
玄関を入ると、吹き抜けの階段室があり、一階に4室、二階には広間2室。中でも、残された古い暖炉には、当時の宣教師たちの姿が重なる。下関の地に移築されて百年。未だに品格のある豊かな空間が残されていることに、感動を覚えた。
古い建築を、用途替えや増改築と併せて使い続ける手法を、現代では「リノベーション」と言う。
大正期から、既にそうした手法で歴史的建造物が守られ、大事に使い続けられてきたことを、この建物は物語っている。
(山口近代建築研究会、一級建築士・原田正彦)
【メモ】下関市上田中町2-13-26、国登録有形文化財、設計者不詳、参考「やまぐち近代建築探偵~第51回」高月鈴世