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やまぐち近代建築ノート連載~第12回 下関南部町郵便局舎

▲ 下関南部町郵便局舎

9月27日(日)、山口新聞に第12回記事が掲載されました。
今回は、下関市内の近代建築「下関南部町郵便局舎」。
下関での郵政事業は、明治4年の赤間関郵便取扱所の開設に始まります。
この「下関南部町郵便局舎」は、業務拡張に伴い、明治33年(1900年)「赤間関郵便電信局」として建築されたものなのです。
煉瓦造の二階建てで、当初は一階で郵便、二階で電信の業務を行いました。
玄関や窓廻りに多くの洋風意匠があり、本格的なルネサンス様式建築の美しい姿を見せてくれます。
以下、原稿の抜粋。(全文は山口新聞をお読み下さい。)
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現役の郵便局舎として国内最古の歴史を持つが、更に特筆すべきは、これが県内では初の日本人建築家の作品であることだ。
その名は三橋四郎。帝国大学工科大学造家学科(現東京大学建築学科)卒業後、陸軍省、逓信省、東京市の技師を務めた後、独立して設計事務所を構えた。
この局舎は、彼の逓信省時代の作品だ。
明治当初の建築界は、お雇い外国人建築家や、擬洋風、近代和風を生み出した大工棟梁たちがリードしていた。
そんな中、明治12年工部大学校(帝国大学の前身)で、イギリス人建築家J.コンドルの教えを受けた辰野金吾や片山東熊ら四人が卒業し、日本人建築家が誕生する。彼ら「第一世代」は、その後西洋の古典主義様式に倣った作品を続々と生み出していく。
一方、辰野ら後に活躍する三橋たちは、「第二世代」の建築家と呼ばれ、古典主義からは脱却し、明るく軽やかな建築表現を目指した。
この局舎では、玄関周りの柱やペディメントが単純化され、平面的な印象となっているのがわかるだろう。

その後、下関郵便局、下関東郵便局と名称が変わり、下関東郵便局が山の田東町に新築移転しても、建物自体は「南部町郵便局」と名称を変えて残された。
親しみやすく、地方都市の街並みに溶けこむ第二世代の造形美。それが百二十年もの間、市民に愛され続けた理由だろう。

〈メモ〉
下関市南部町22-8/設計三橋四郎・施工岩崎組/国登録有形文化財/<参考>「山口建築ノート」(松葉一清著「南部町郵便局~第二世代の美学」1979年)

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