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やまぐち近代建築ノート連載~第11回 菜香亭

▲ 第11回 菜香亭

9月6日(日)、第11回が掲載されました。
9月6日(日)、山口新聞連載第11回目の記事が掲載されました。
今回は、山口市内の近代和風建築「菜香亭」です。
野田神社の緑を背景に、幾重にも重なる銀黒の甍の波が目に映る、もと料亭建物です。今から40年以上も前、私が県に採用された時の歓送迎会はここの広間でした。新人なのに上座に座らされ、とても緊張したことを覚えています。
今は山口市天花の地にありますが、もともとは500m南西にある八坂神社や、河村写真館(第9回で紹介)と並んで建っていました。
平成8年に約120年の料亭の歴史を閉じた後は、しばらく放置されていましたが、市民による保存運動もあり、15年五代目女将の斎藤清子さんが山口市に寄贈、市は保存を決定し、16年現在地へと移築、保存改修工事を行ったのです。現在は「山口市菜香亭」として、観光、市民交流の拠点となっています。
近代建築の保存、再生、活用の見事なお手本と言える建物でしょう。

以下、原稿の抜粋。(全文は山口新聞をお読み下さい。)

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その歴史は古く、毛利藩膳部職の齊藤幸兵衛が、明治維新を機に山口に移り、明治10(1877)年、この地で料亭「祇園菜香亭」を創業したのが始まりだ。この名称は、明治の元勲井上馨が、名前の「齊」と「幸」をもじって命名したと言う。ここを舞台にした宴会や行事を探ると、毛利敬親の法要、井上の還暦祝賀会、サビエル記念碑建立の祝宴、山口市制施行の祝賀会などがあった。正に山口の歴史的な社交場としての役目も果たしてきたのである。
現存する棟は、古い順に、西洋料理店だった「西洋館」(明治20年)、その北側に「大広間」(26年)、その西側に「居住棟」(29年)の3棟。明治36年にそれらを繋ぐ「玄関周り」、大正15年には大広間を北側へ更に増改築している。
多くの部屋のうち、一番の見所は、大広間だ。152畳もの格調高い和風部屋に、伊藤博文、桂太郎、山県有朋ら多くの偉人たちが揮毫した扁額が欄間に掲げられている。庭園の緑と多くの所蔵品に囲まれたこの大広間は、何と贅沢な空間であろう。
平成8年に約120年の料亭の歴史を閉じた後は、しばらく放置されていたが、市民による保存運動もあり、15年、五代目女将の斎藤清子さんが山口市に寄贈。市は保存を決定し、16年現在地へと移築、保存改修工事を行った。現在は「山口市菜香亭」として、観光、市民交流の拠点となっている。
時代の趨勢と共に変貌を遂げながらも、多くの人々に愛され続けてきた菜香亭。近代建築の保存、再生、活用の見事なお手本である。

〈メモ〉
山口市天花1丁目2−7/設計・施工不詳/<参考>「菜香亭建物・庭園調査報告書」(文化財建造物保存技術協会2003年)

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