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やまぐち近代建築ノート連載~第9回 河村写真館

河村写真館記事
▲ やまぐち近代建築ノート第9回 河村写真館

私の誕生日の8月2日、第9回が掲載されました。
今回は、築130年の重みを持つ「河村写真館」です。

木造2階建て塔屋付き、下見板張り一部漆喰系の擬洋風建築。屋根は寄棟桟瓦葺き。塔屋では、月見を行ったと言う風流な話が伝わっています。
この写真館も今は廃業しており、空家状態。この建物の行く末が気になるところですが、幸いにも周辺の大殿地区は、明治建築の菜香亭や旧野村酒場などもあり、歴史文化を生かしたまちづくりの機運が盛り上がっています。
新たに改修を施し、小野為八、松原繁、山本紫峯、河村四郎と4代続く写真家を紹介したり、地域の町並み写真などを展示したりする「地域で育てる歴史写真館」として再生させてはいかが?…と提案しました。

以下、原稿の抜粋。(全文は山口新聞をお読み下さい。)
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萩から防府に至る萩往還は、山口市内に入ると竪小路となる。その筋の東にある八坂神社の境内に、本殿と向き合う形で建っているのが河村写真館である。
北側の玄関を入ると一階が接客や事務の部屋、西に階段、二階が撮影スタジオで、この梁間三間×桁行四間の範囲が当初に建設された部分だろう。後に居住部分やスタジオ拡張のため、東西南に増築されたようだ。外壁は、二階の漆喰壁を除き、下見板張り。軒蛇腹も木製で、扉上部の欄間は日の出形、2階ベランダには手摺子を持つ高欄、そして3連続の弓形アーチが並ぶ。これら意匠は、3km東南の石州街道筋にあった山口刑務所管理棟(明治20年)の外観と類似する。

建設年については、元士族で防長写真業の創始者と言われる小野為八による明治8年説があった。しかし、後の調査研究から、この地で写真業を始めたのは小野だが、同じ士族の松原繁が業を引継ぎ、明治20年(1887年)代初頭に「松原写真館」として建築した、との説が有力だ。その後、昭和25年まで山本紫峯氏の「防長写真館」、更に昭和30年から河村四郎氏の「河村写真館」へと変遷していく。明治から平成まで、百年以上にわたり写真館として使用され続けたことは全国的にも稀で、このことにも、この建物を保存する十分な価値を見出すことができる。

〈メモ〉
山口市上竪小路103/設計・施工不詳/県指定有形文化財<参考>「山口近代建築研究第2号」(浅川均氏「河村写真館建築年代の謎」2004年)

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