以下、記事の抜粋です。
灯台は、建築ではなく土木施設の一つなのだが、同じ近代化の歴史を物語る建造物として、取り上げたい。
明治初期、政府は殖産興業を進めるため、様々な分野で「お雇い外国人」と呼ばれる欧米の技術者を雇用した。建築ならイングランド出身のJ.コンドル、そして灯台ならスコットランド出身のR.H.ブラントンが有名だ。彼は、滞在した7年半の間に、北海道から鹿児島まで26基もの灯台建設に携わり、県内では六連島灯台とこの角島灯台、2基を設計している。
この灯台、現在は県内屈指の観光施設でもあり、内部の狭い螺旋階段を上り切ると、灯篭周りの展望デッキに辿り着く。そこからは、響灘から日本海へと広がる美しい海岸の景色が三六〇度楽しめる。
だが、ブラントンが、現地調査のためこの角島海岸の地に立った姿を想像してほしい。異国の技術発展のため祖国を遠く離れ、仕事に没頭する日々、ここではふと西の水平線の向こうへと、望郷の念に駆られたに違いない。「灯台の父」とまで呼ばれた彼の努力と苦労に思いを寄せた時、角島に、日本各地に美しい歴史遺産を残してくれたことに、改めて感謝したくなるはずだ。